その1
「ミルクの科学 − 牛乳の不当な評価 − 」 
※2週に亘って掲載します。
酪農学園大学客員教授 仁木 良哉        
【プロフィール】
にき りょうや
北海道大学農学部畜産学科卒業。
同大学大学院博士課程終了。
「カゼインミセルの構造と機能性」の研究で
平成7年に日本酪農科学会賞。
酪農学園大学客員教授、北海道大学名誉教授。
北海道在住。
 

【 ベストセラー本に科学的反論 】
 最近、「病気にならない生き方」という本がベストセラーになっています。アメリカの外科医・新谷弘実さんが書いていますが、牛乳の記述はまったくデタラメです。私は50年近く牛乳の研究に携わっていますが、本に書かれている牛乳の記述は初めて聞くものばかりで、全く科学的な検証のないものです。この著書は、4月29日付の毎日新聞北海道版に牛乳有害説というのを書いており、それを見てまた驚き、6月24日付の毎日新聞で私の反論を掲載させていただきました。群馬大学の高橋久仁子先生が北海道新聞の5月7日付の特集で解説した「フードファディズム」という言葉がありますが、この本はまさしくこのフードファディズムの範疇に入るものです。私の反論でこれを皆さんに実感していただけると思います。

 まず、ミルクとは何かを簡単にお話します。
ミルクは母親の血液から乳房の中で作られます。牛でもヒトでも乳房には小さな乳腺胞が詰まっており、乳腺胞で作られた乳が最終的に乳頭まできて子供がこれを飲むという形です。ミルクは水を非常に多く含み、水分以外の固形分は全固形分といい、その量は動物の種類によって異なります。一般に、厳しい環境に棲息している動物の固形分は高い傾向を示します。

また、新生児の成長の早い動物のミルクはタンパク質、カルシウム、リンの含有量が多いです。母乳と牛乳を比較すると、牛乳の方がタンパク質もカルシウムも多いですが、糖質や乳糖は少ないという特徴があります。

 牛乳のタンパク質は3.2%前後、母乳は1%前後ですが、母乳は菌の発育を抑える静菌作用があるラクトフェリンとIgAを牛乳より多く含みます。またリゾチームも含まれています。リゾチームは量によりますが、菌を殺す作用があり、IgAは細菌に対し特異的に働く免疫グロブリンとして知られています。つまり、母乳は子供が乳を飲んでから消化管にいくまで、バクテリアに出来るだけ汚染されないようになっているのです。牛は4つの胃があり、消化管でのバクテリアの汚染の度合いが違うので、母乳よりこれらの成分が少ないと考えられています。お母さんの乳は子供をできるだけ早く、しかも確実に健やかに育てるという役目をしているのです。

牛乳タンパク質は消化が良い
 次に、牛乳の不当な評価への反論を紹介します。まず、著者は「牛乳タンパク質は消化が悪い」と言っていますが、私は初めて聞きました。消化管にはタンパク質分解酵素があり、タンパク質をアミノ酸まで分解する役目を果たしています。消化が良いか悪いかは、酵素の働きがポイントになるわけです。牛乳のタンパク質は80%がカゼイン、20%が乳清タンパク質で構成されています。著者はカゼインは消化されにくいと言っていますが、これは逆で、カゼインは最も消化されやすい食品タンパク質の代表です。

 タンパク質は螺旋状の規則的な構造を持っていますが、加熱するとこの構造が解ける性質があります。そうすると消化酵素が働きやすくなり、消化されやすくなります。牛乳タンパク質の80%を占めるカゼインは、最初からこの螺旋状の構造が解かれた状態になっており、消化管の発達していない新生児でも消化酵素が簡単に働きやすい形になっていますが、著者は消化されにくいという言い方をしています。

 著者はまた、胃を内視鏡で見て牛乳は消化管に入ってベタベタ固まって消化が悪いと、非常に感覚的な言い方をしています。ところが、内視鏡の倍率はたかだか10倍だと思うのです。私はこの10年間、牛乳のpHが下がるとできる凝固物を電子顕微鏡で調べています。1万倍でカゼインの凝固物を見ると、中は隙間だらけで、消化酵素は自由に出入りできるのです。著者は内視鏡を信じ過ぎて、肉眼に近い倍率で凝固を見てベタベタしているということだけ言っているわけです。このような事は私にはまったく理解できません。

【牛乳中のカルシウムは吸収率が良い】
 また著者は、「牛乳を摂ると骨粗鬆症になる」という言い方をしています。牛乳をコップ1杯(200ml)飲んだ時の栄養充足率をみるとカルシウムは37.8%です。
牛乳には非常に多くのカルシウムが含まれており、吸収率も非常に良いのです。牛乳のカルシウム吸収率の40%に対して、小魚は33%、野菜は19%です。骨は見かけ上、非常に固く、代謝はほとんどされていないと思われがちですが、実は日々変わっています。壊れた骨のカルシウムは尿中に排出されますが、それを食べ物で補い、そこでまた新しい骨になっていくのです。

 カルシウムの過不足の度合いについてみると、食べ物からカルシウムを1日300mg摂ってもバランス上はまだ赤字で、560mg摂るとバランスするというデータがあります。日本人は今、1日600mg摂るよう推奨されていて、それでやっと黒字になるわけです。

 著者はまた、「ハーバード大学の研究者が12年かけて7万8千人の被験者について研究したところ、牛乳を飲み過ぎると骨粗鬆症になる」と言っています。その論文を読みましたが、牛乳を飲み過ぎると骨粗鬆症になるとはどこにも書いてありませんでした。Haeneyというアメリカの研究者が1975から2000年(25年間)に発表された「乳・乳製品と骨の健康に及ぼす影響」に関係する出所が明らかな139の論文をチェックし、総括した報告を読んでみました。139の論文の86%(118論文)が、牛乳乳製品は骨の健康をよくすると書いてあり、13%(19論文)がどちらともいえない、1.4%(2論文)が効果なしという報告です。著者が牛乳を飲み過ぎると骨粗鬆症になるとの主張の根拠にしたハーバード大学のデータもこの論文でチェックされていましたが、「どちらともいえない」に分類されていました。著者は非常に都合のいいところをとってまとめているのです。乳・乳製品と骨の健康に及ぼす効果を調べた論文がいっぱいあり、しかも、効果なしの論文はほとんどないのに、なぜ、牛乳を飲み過ぎると骨粗鬆症になると主張されるのか不思議でなりません。

牛乳の脂肪は酸化され難い
 「乳脂肪は過酸化脂肪(錆びた脂肪)である」というような表現もあります。牛乳は約88%が水で、水の中に脂が入れば当然分離します。しかし、乳脂肪は球形の粒子で中側の脂肪を脂肪球膜が覆っており、この脂肪球膜の表面は水に親しみやすい性質を持っています。同じ乳脂肪でもバターのような裸の脂肪は水に浮きますが、クリームの脂肪は脂肪球膜で覆われ、水に親和性があるのでいくらでも水に溶けます。

 乳脂肪と大豆油や菜種油を比較すると、乳脂肪は酸化されやすい目安となる脂肪酸の二重結合(不飽和結合ともいう)の含量が少なく、大豆油や菜種油よりも酸化されにくいのです。酸素がないと酸化はしませんが、牛乳中の酸素はppm(百万分の幾つかの単位)で表す位の微量しか存在せず、ほとんどないと言っていいくらいです。同じ脂肪でも酸化しやすさの度合いは、牛乳の方が少なく、客観的な事実から考えて牛乳中の脂肪が過酸化された「錆びた脂肪」という考えは認められません。

初乳と牛乳の違いを知らない著者
 さらに、「市販の牛乳を飲ませると仔牛が死ぬ」というような言い方をしています。著者がまったく牛乳のことを知らないという典型的な記述です。免疫物質とは、ある特定の病気にならないように生体内の免疫反応に働く物質で、免疫グロブリンというタンパク質が主要なものです。乳牛は仔牛が病気にならないよう、分娩直後の初乳を通して免疫物質を仔牛に与えます。

 人間の子供は子宮で胎盤を通して免疫グロブリンをもらうので、母乳にはこの免疫物質が少ないですが、乳牛は仔牛にミルクを通して免疫グロブリンを与えるため、酪農家は生まれた仔牛に初乳を必ず与えます。そうすれば子供は病気にかかりにくくなるのですが、この著者はそれを知らないのです。たとえ原料乳に免疫物質があったとしても、非常に変性しやすく、殺菌すると簡単に沈殿したり、活性を失ったりするため、市販の牛乳に免疫グロブリンが含まれる余地はありません。

 そういう状態の牛乳を仔牛に飲ませ、それで病気にかかりやすいというのは的外れです。少しでも初乳と市販の牛乳は違うんだ、特に初乳は免疫力があって市販の牛乳と成分が全く違うんだということを知っていれば、こういうことは書けなかったと思います。その意味でこの著者は牛乳のことを全然知らない、勉強しないで牛乳のことを批判しているんだと私は感じているわけです。

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※このトピックは酪農学園大学連続公開シンポジュウム『ミルクと酪農の真実と未来』から酪農学園ミルク産業推進会議の関係者の承諾を得て掲載している。酪農学園大学の関係者に心から感謝している。