「科学映像館の設立によせて」
ひらき ゆうじ

平成3年12月大阪大学講師 歯学部(生化学講座)
平成6年6月大阪大学助教授 歯学部(生化学講座)
平成10年6月京都大学教授 再生医科学研究所
         (生体分子設計学分野)

 科学映像館の設立によって、ヨネプロによるミクロの目で「生きていること」を捉えた誇るべき映像群が35 mmネガフィルムからハイビジョンでデジタルアーカイブされることで未来に受け継がれることになった。四半世紀も前になるが、骨粗しょう症予防の科学映画に加えるために、培養軟骨細胞を微速度撮影していただいた。大学の新任助手として働き始めた1年目の終わりで、中之島(大阪)にあった旧蛋白質研究所の一室を代用した粗末な培養室に機材を持ち込んでもらった。自分の培養技術も十分でなく、かなりの不安と緊張を感じつつも撮影をおえることができた。その映像の一部を今でも講義で使っている。細胞が活発に動き、増殖し、分化していく。この映像が私の研究活動を支えるインスピレーションの源泉となってきたと思う。「生きていること」が時間を生成しているのだとすれば、生きている現象は動画映像でなければ捕まえられない。


 50歳を過ぎた頃から、自分が「生きた時代」というものがそこにできていることに気付かされる。同時に、あなたが「生きていく時代」を伴走する自分の存在にも気付く。これまで、一度読んだ本を二度読み返すことはしなかった。それが、かつて目を通したものを再び眺めて確かめたくなる。「私の時代」の手触りを確認したいからだ。そんな訳で、時間の生成と生命を考え始めると『時』(渡辺慧著)のことが気になり出した。私が生まれる少し前の1947年に『時間』として出版されたものが、少し体裁を変えて1974年に再び出版されたものなのだが、物置の奥まで探し回るのは億劫だった。

 Amazonにアクセスすると、忽ちのうちに出品された古本として入手することができた。デジタル情報は軽快である。今、映像も音も文書も単にデジタルな情報として操作される時代に、私達は放り込まれている。このような時代にあっては、情報を送る側と受ける側で決めたルールが問題であって、その間をつなぐ物的な制約からほとんど自由である。それだから軽快なのだが、事実と幻想の壁も自由に通り抜けることができてしまう。


 今、誰にでもある「私の時代」の終わりを書こうとしているのではない。私達は背後にあるもっと大きな時代の終わり、「自然科学の近代化」の時代の終わりにつきあっているのではないかと思う。大学受験では、迷ったものの文学部を選ばずに理学部を選んだのには理由がある。19世紀の後半以降、物理学と化学が革命的に近代化を遂げた。やんごとなき人々の権威や神の啓示を独占する人達の指図ではなく、五感に触れることで誰でもが共有できる事柄を組立てることで世界像を手に入れることができる。そのことが宇宙の果てまでも貫徹するはずだとの確信が、誰でもが自分の主人でありうる自由を与えてくれる近代の喜びの源泉だった。こうして自然科学は技術と手を結んだし、私のような職業科学者も成立することになった。「自然科学の近代化」がもつ貫徹力への敬意と憧れが、自分を理学部にこだわらせた。現在ではどうなのだろうか。


 化学における染料の化学合成と銀塩写真の発明は、物理学の近代化における蒸気機関の発明に匹敵する役割を担った。そして、この半世紀で、ついに生物学が近代化された。最も関心の高い生物種はヒトであるから、これを対象にした基礎医学の変貌が20世紀の終わりを飾ることになった。写真技術は、光の像が作るパターンをハロゲン化銀の光反応によって、物質の像につなぎ止める。現像室の独特の匂いを思い起こせる人は少ないのかもしれない。物質の光特性による制約が直接に反映するこの技術は、デジタルの世界でいう画像と違って、写真という言葉が相応しい。五感で検証出来る近代科学の手触りがはっきりとある。35 mmフィルムにのっている情報は、現在のデジタル技術でもかなりの量である。この度アーカイブされる映像群は、生物学の近代革命の証人から次代への贈り物である。科学映像館の設立に期待を寄せる所以である。