耳よりな話トピック
健康づくりを骨から始めましょう
執筆予定者バックナンバー

健康づくりとアルツハイマー型痴呆症の治療について 加藤 武
骨粗鬆症の予防と栄養 武田 英二
それは「武蔵」から始まった 野口 幹夫

健康づくりと
アルツハイマー型痴呆症の治療について

 
加藤 武

 最初に痴呆症について簡単にまとめて見ました。痴呆が見られる病気としてアルツハイマー型痴呆症(アルツハイマー病)が良く知られています。最近の研究から、痴呆が見られる病気には色々なケースがあることが分かってきました。その発生の割合からするとやはりアルツハイマー病が一番多いようです。アルツハイマー病は定年を過ぎる頃から現れることが多いとされています。若年性の痴呆症は一般に遺伝的素因によるところが多く、アルツハイマー病の数%に過ぎません。それ以外のアルツハイマー病は孤発性アルツハイマー型痴呆症と言われ、高齢化した現代社会において最も一般的に見られる病気です。それではこの病気の原因は解明されたのでしょうか。いいえまだ充分に分かっていません。定年退職後に良く見られますが、定年退職と本当に関係があるでしょうか。

アルツハイマー病とは:
 アルツハイマー病の原因について簡単にまとめました。詳細なことは専門書をご覧下さい。
アルツハイマー病の検体脳には老人斑と神経原線維が見られます。老人斑はアミロイドベータ(Aβ)の塊が微小血管の周りに沈着しています。神経原線維は骨格タンパク質に結合するタウがリン酸化されて生じた不溶性物質で、神経細胞に沈着して細胞死を起こしたものです。
これらの物質がアルツハイマー病の原因遺伝子ではないかと考え、多くの研究が行われています。Aβの塊がどうしてできるかが最近明らかとなり、治療薬の開発が積極的に行われています。
60から65歳の定年退職の頃からアルツハイマー病が起きていることと先の沈着物の生成との間に大きなギャップがあるように思われます。この年齢で発生する大部分のアルツハイマー病には特徴あるタンパク質が見つかっています。その一つに酸化ストレス、小胞体ストレスが原因で生成し、その結果脳の記憶に関わる神経細胞が傷害されて痴呆症になるとの説です。全般的に脳血管の障害、脳内グルコースおよび酸素の減少が原因であるように思います。

 それではアルツハイマー病にならない健康づくりはあるのでしょうか。それが今回掲げたテーマです。
現在色々な施設においてこのテーマの答えを得ようと努力されています。薬による治療もその一つでしょう。そこでこれまで研究されたアルツハイマー病治療薬について簡単にまとめてみました。

治療薬は存在するか:
 アルツハイマー病では脳内アセチルコリンの減少が起こっており、減少した脳のアセチルコリンを回復する薬の開発が長年研究され、毒性も比較的少ない薬として2年前からアリセプト(E2020、ドネペジル)が使用されています。以前には脳循環代謝改善薬も検討されましたが、現在ではアルツハイマー病の治療薬としてアリセプトのみ承認されています。最近、精神科領域では抗精神薬がアルツハイマー病に有効であるとの報告から、日本においても治験が開始されています。これらの薬物はアセチルコリンとは異ったモノアミンと関係があります。一方、脳内の神経活動はアミノ酸であるグルタミン酸が重要な役割を担っています。しかし、グルタミン酸が働き過ぎますと神経細胞は死ぬことがあります。グルタミン酸の作用を押さえる薬がアルツハイマー病の治療薬とし注目を集めています。その薬はメマンチンと言い、ドイツでは2002年から患者に使用されており、米国、日本でも現在(2003年)検討されています。その他、脳内には沢山の有用なペプチドがあります。アルツハイマー病検体脳ではソマトスタチンと言われる神経ペプチドが減少しています。神経ペプチドを減少させない薬の開発も進んでいます。最近では、Aβの生成を防ぐ薬の開発も検討されていますが、今後期待したいところです。

色々な訓練によってボケを防ぐことは可能か:
 一般によく言われていますが、手足や頭を使うとボケないと言われます。実際、動物を用いた研究も行われ、色々と訓練することで記憶の保持が良くなると言われています。最終的には健康づくりをすることが痴呆症の予防になることは充分考えられますので、骨の健全は健康づくりに必須であり、この会の皆さんが力を合わせてどうすれば骨の健康を守るかを考えていかれることを願っています。
かとうたけし

1941年生まれ。
名古屋市立大学薬学部、大阪大学大学院薬学研究科修士、名古屋市立大学大学院博士の化学系大学院を終了後、生物学系分野において教育・研究に従事している。
職場は愛知学院大学歯学部、東京工業大学大学院総合理学研究科、そして、現在は横浜市立大学大学院総合理学研究科に所属し、主に記憶障害モデルによる痴呆症に興味を持って研究を続けている。詳細は大学の私のホームページに載っている。

 

骨粗鬆症の予防と栄養

 
武田 英二

  【日本人の健康状態】
 日本は少子高齢化社会を迎え、一人一人の社会での役割がこれまで以上に重要になっており、健康長寿を延長するための施策が求められています。しかし、現実は生活習慣病の増加や高齢者の栄養不良の増加により医療費は高額になり、日本経済を圧迫しています。糖尿病を代表とする生活習慣病の発症や経過には遺伝素因と生活習慣とくに食生活が深く関与しています。多くの研究から、たとえある病気になりやすい遺伝体質を有していても、食生活に注意すれば発病を予防することが明らかになっています。

 【先天性遺伝病の向こうに生活習慣病がみえる】
 ビタミンDが作用するために必要なビタミンD受容体が遺伝的に欠損しているためにくる病を呈している小児疾患をビタミンDやカルシウム(Ca)を投与することで治療しました。その後の研究によって、ビタミンD受容体遺伝子型によって骨密度が異なることが明らかになりました。したがって自分が骨粗鬆症になりやすい遺伝子型すなわち体質を持っているヒトはビタミンDやCaを若いときから積極的に摂取して骨粗鬆症を予防するように努力すればよいわけです。このような情報をなるべく早い機会に知って対応することが重要です。

 【骨粗鬆症予防の進歩】
 骨粗鬆症の予防に重要なCaの所要量(健常人が必要とする目安)は日本人では600mgとされていますが、十分に摂取できていません。ちなみに欧米では1000〜1200mgです。腸管でのCa吸収率は約30%ほどですが、Ca摂取量を増やすだけでなく、Ca吸収率を増やすビタミンDやクエン酸を摂取することが大切です。ビタミンDは魚に多く、クエン酸はダイダイ、カボス、スダチなどの柑橘類に多く含まれます。さらにタマネギなどの野菜も骨の健康を保持する作用があるようです。一方、Ca吸収を阻害したり骨塩量を低下させるリンは加工食品に添加されていますが、日本では表示されていません。米国では約300mgのリンをリン添加物として摂取していることも報告されており、加工食品に対する注意が必要です。

 【管理栄養士の役割】
 骨粗鬆症の予防や治療に運動や食事が大切ですが、Ca、ビタミンD、ビタミンKを十分に摂取する前に、もっと大切なことがあります。まずエネルギー、すなわち蛋白質、脂質、炭水化物を食事から十分に摂取することで、その中でビタミンやミネラルを食事から摂るという考え方が必要です。それでは、どんな食事や献立が必要なのでしょうか。また誰が教えてくれるのでしょうか。

 食品の成分や調理に伴う成分の変化を理解し、それらを考慮して献立を提案して栄養管理および栄養指導ができるのは管理栄養士だけです。食事から摂取した栄養素の量と成分を把握できて、予防のための食事献立を提示できる管理栄養士の役割は予防医学の実践に必要です。したがって健康の基本となる栄養教育や臨床現場での栄養管理に食生活を豊かにする管理栄養士のアドバイスは欠かすことはできません。

たけだえいじ

1974年徳島大学医学部医学科卒業、博士(医学)。
徳島大学医学部付属病院、高松市民病院で小児科を学ぶ。
1992年 徳島大学医学部講師(小児科)から病態栄養学の教授となる。現在、栄養
学科長。その間、米国インデイアナ大学へ留学。
骨粗鬆症の成因に関する分子栄養学的研究を中心に研究を展開。
1998年 日本ビタミン学会賞を受賞。

その1その2その3

 

それは「武蔵」から始まった

 
野口 幹夫

 それは「武蔵」から始まったのです。昨年暮れNHKが来年の大河ドラマの宣伝をはじめたときから、なぜ今「武蔵」を取り上げるのかと妙な関心がありました。めったに見なくなっている大河ドラマですが、そんなわけで今年はよく見ています。まだ何故だかはわからないのですが、関心を持ってよかったと思っています。春には江戸博物館で「武蔵」の展覧会をしていて、それも見に行きました。あのドラマのオープニングとエンディングにでる鳥の絵がそこに展示されていました。ドラマのはじめにそれは飛んできて枝に留まり、終わりはまた飛び立ちます。武蔵はそのような、活きている絵を描いたのです。彼が武術の師だけならば、NHKは今の時代に取り上げたりはしなかったでしょう。興味のポイントは剣の極意からスタートしたものが、どのようにして絵につながり、五輪書を思想の書に高めたのかにありそうです。からだを操ることの鍛錬から、どのようにして、それにふさわしい芸術と思想が生まれるのか。私にはその発想はありませんでした。ですから、これまで縁のなかった広大な別の世界がそこにありそうで、それを探る機会を与えてくれたのです。

 おりしも出版された甲野善紀「古武術に学ぶ身体操法」や野口三千三「原始生命体としての人間」が、その未知の世界を案内してくれました。(いずれも今年の出版であるので、このような世界への関心の高まりを当て込んだのかもしれません。偶然とすればできすぎです。)いやその前にもあったのです。96年ごろのことです。私が所属している合唱団の若い副指導者であった新田光信さんが発声法の練習のとき、これが役に立ちますと紹介してくれた高岡英夫著の「意識のかたち 現代に甦る天才の秘密」という本がありました。その帯書には「イチローと宮本武蔵に共通する天才の驚異的な能力 日本人は昔、意識の達人だった。人間が潜在的に持つ驚くべき能力の科学的研究。」とあります。イチローはまだパ・リーグにいたころです。発声とこの本が説く身体意識がどう関係するのか、わかったようでわからなかったのですが、少なくともこの本で自分の普段の身体の姿勢が変わって、今に至るまで、それが保てていることは確かなのです。宇宙軸を身体に持つということで、背筋が自然に伸びます。

 これらの書に共通する思想は、何かをなすときに、身体の重心を支える意識と、手や肩の力をいかに抜くかと言うことにあります。私が体をやや高度に使うということは、合唱で歌うこと、朝のウオーキングで速く歩くこと、ゴルフ、それにたまに絵を画くことです。これらのことに、これまでは何も考えずにやってきましたが、この原則をそれらの行為に繰り入れようとすると、なかなか厄介です。それぞれによけいなところに、気づかずに力が入っていて抜くことは不安になって出来ないのです。その原則を自分の身体に言って聞かせ、不安をなだめて、うまく力を抜くことが出来れば、これまでとはまるで違った良いパーフォーマンスが出るのです。はっとする思いです。それを繰り返すと、この原則は全くその通りだと承服します。ただそれはいつもは出来ないので、やはりそこの訓練がいるのです。

 ウオーキングで発見したことがあります。甲野善紀氏は「かっての日本人は原則として歩行時に手を振りませんでした。」手を振ると身体が捻れるので疲れるし、急速な方向転換が出来ないと書いています。私はさっそく朝のウオーキングにやってみました。手を前にそろえて歩くのです。なるほど何か乗り物に乗っているような感じで、これまでとは全く違う感覚になります。すこし両手を前にさし出してみます。するとどんどん速くなるのです。これまで私は1Kmを大体9分40秒出歩きます。ウオーキング仲間ではめったに抜かれませんので早いほうだと思っています。前に速い人がいて追いかけるような時は9分10秒くらいまで速く歩けます。でもそれが限度でした。それがこの方法で一挙に8分45秒にあがったのです。はっと思い出したことがあります。昨年NHKの金曜時代劇で、江戸町飛脚を舞台としたドラマがありました。

 今人気の小沢征爾の息子さんが主役でした。その江戸飛脚の走り方が両手を腹の前にそろえる形でした。その時は妙なスタイルだなと思っただけでした。まさか時代考証に基づくものとは気がつきませんでした。その中でヒロインの若い女性が故あって男性に扮して当時男職場の飛脚に入り込むのですが、その試験をかねた最初の仕事が、ちょっと離れた町のうまい豆腐屋さんから豆腐を急いで買ってくるシーンがありました。彼女はそれを大変な早さで持ち帰り、鍋の中の豆腐が全く崩れていないので、これは彼女が、ごまかして近くのお店から買ってきたのではと疑われます。しかしその味を見て、彼女が立派にやり遂げたことが認められるというシーンがありました。まさにそのスタイル、両手を前に出して鍋を捧げるスタイルで歩いてみて、まさにそれが一番スピードが出るのです。私の時間で8分30秒でした。
海岸の散歩道でこのスタイルで歩くのはさすがに気が引けますので、普段は両手を腹の前に納めてあるきますが、やはり速くて疲れないのです。

 忘れられた日本の身体操法には、学ぶべきものがあると確信しました。折しも7月20日の日曜日の午後、時間があればいつも見るNHKの囲碁の時間のついでに、「こころの時代」を見ていましたら、石川九楊さんという書家の対談で、「書は祈り」という番組をやっていました。彼は筆の入れ始め、走らせ、留めの三段階に人柄が無意識に投入されていて、書を見ると書いた人の人格が見えてくると言い、親鸞、日蓮、道元、一休の書を解説してくれていました。親鸞の書は漢字であってもひらかなのやさしい運筆をし、また時にするどく突き刺すように入り一気にはらいおろすと解説し、一言でいって愛の書であると。また日蓮は書くべき言葉が転がるように次々に現れ、筆でその言葉を必死で追いかけている書で、一言で名付けて熱の書。道元は、学の書といった解説をしていて、なるほどとうなずくほかありませんでした。
そしてはっと我に返ると、もう自分は手紙を書くのもパソコンのキーボードに向かってしか書けなくなっているのに、思いを致すほかありませんでした。高岡英夫は「意識のかたち」のなかで、繰り返して訴えていることは江戸時代まで日本人がもっていた身体意識が、明治以降に転がるように退化したということでした。筆を使って書を書くことをしなくなったのは、とどめを刺すくらいの退化の象徴かも知れません。書道を趣味のように習うことは出来ても、それを日常に使うことはもはや不可能なことです。せめて自分に出来る身体意識の本質に少しは近づくために、今20年来の下手なゴルフからの脱却を目指して、その原則のスイングを練習し始めたところです。

 さてこれからが本論とも言いたい精神と身体のことです。私はゲーテやベルグソンに従って魂の特殊な存在を信じています。イエスが「私を信じるものは永遠のいのちを与える」という言葉を繰り返して残していったということとつながっています。精神的魂は、記憶によって形成されているともいえます。最近の研究では、記憶が頭脳の旧皮質層にある海馬という箇所と関係すると究明されてくると、精神は頭脳にあると思わざるを得ないように考えてきました。人間が死をむかえたとき、身体はただの物体となり、そのとき頭脳から何か神秘が立ち上るようなイメージです。生きている間の身体であって、その神秘の一瞬には、何の役も果たさないように、これまでは漠然と考えていました。今回の一連の学習で、それに新たな光が射し込んできました。身体を操る巧みの中で精神が鍛えられるということはどういうことなのでしょうか。野口三千三氏の「原始生命体としての人間」には、人間の頭脳もアミーバの皮膚も外界の情報を受け入れ、処理していくという機能については同じであり、人間の手のひらもすべての皮膚も内臓も、その点では頭脳と同じと喝破しているのです。ベルグソンも精神が頭脳に絡んでいるにせよ、頭脳が精神ではないことは、帽子が帽子かけに掛かっていいても、帽子かけが帽子ではないと同じことが頭脳と精神の関係だといっているのです。

 身体全体で精神的魂を作っているのです。人間の魂の究極の目的は円熟した精神にあるとして、それは決して頭脳作戦でできるものではないということに、やっと気がついたのです。むしろ頭脳中心思想をもっていたことこそ、我が身にある抜きがたい傲慢さの元凶かも知れないと思い始めています。久米川先生からは、固化したように見える骨が、いのちある限り、激しい新陳代謝していることを教えられました。身体全体が、力あわせてこのひととき、ひとときを、新たに生き返ることで、生き抜いています。そのいとなみ全体こそ精神的魂であり、その本質的存在は何と名付けられようとも、それによって、身体も頭脳も、それぞれの役割に使われているのだという、私にとって新しい発想が示唆されたのです。野口三千三氏は、人類は第三段階の進化に属し、その先の進化があると予想しています。もっと自由に動き回れ、もっと創造性のある第四段階を示唆しています。我々がこの預かったいのちを無事生き抜いて果たすとき、その主人公である精神的魂は、さなぎの中から蝶が飛び出るように、第四の新たな生を受けるのかも知れません。

武蔵のおかげで、また今新たな生き方への努力の道を教えられた気がしています。

参考文献
野口三千雄 原始生命体としての人間 岩波現代文庫 2003・6
甲野善紀 古武術に学ぶ身体操法 岩波アクティブ新書 2003・2 
高岡英夫 意識のかたち 講談社1995・9
ベルグソン 精神のエネルギー 白水社ベルグソン全集二巻1965
(2003年7月24日 骨の健康づくり委員会ホームページ コラムに執筆)

のぐち みきお

1935年生まれ。大阪大学工学部通信工学科を卒業し、東芝でカラーブラウン管の開発製造に従事。本社総合企画部を経て、光学技術の会社潟gプコンの常務、監査役でビジネスの世界を終了。
現在は、主にカトリック教会で信徒による宣教の研究会を主宰。毎年数名を対象にキリスト教入門講座を10年続けている。合唱団活動は15年歴。宗教大曲を2年おきに取り組み、取り組む曲についての探求を解説書にまとめるのを楽しみにしている。
久米川先生と共に三水会という雑学研究会に28年参加。毎年様々なテーマの探求結果を報告している。宇宙飛行士の息子を持ったもの、その関係の雑務に追われる。
宇宙開発研究の1日も早い再開を期待したい。

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