コラム 健康づくりを骨から始めましょう
 
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このコーナーは各界でご活躍の方々にお願いしております。
6月
その1 橋本 弘一 「私の健康ということ」
その2 矢作 悠 「花かつみ」
   
五十音順

その1 私の健康ということ 〜橋本 弘一〜

桑子氏近影はしもと ひろかず

1955年 大阪大学歯学部歯学科卒業。
1960年 京都府立医科大学専攻生終了(整形外科教室)、医学博士の学位を受領。
1970年 大阪歯科大学助教授となり、同年新設された城西歯科大学(現明海大学)教授となり、1997年退職。
その間、研究では歯科材料分野で多大の成果を収め、日本歯科材料器機学会及び
日本歯科理工学会から学会賞を受賞。一方在籍中、学内外の管理面での要職につかれ、特に教育面での貢献は大きく、歯科大学教育の基盤を作られた。学部長、副学長として総合大学設置でも大きく成果を上げられた。
学会関係では日本歯科理工学会長を始め多数の学会で活躍された。一方教育面では日本私立歯科大学協会の教育部会等での私学教育の在り方を示され、日本歯科医学会より会長賞(教育部門)を受けられた。
現在も教育面で日本私立大学協会教務委員長として活躍され、輝いた毎日を送られて
いる。

 明海大学を定年退職してからすでに満7年になる。その間、特別に病気らしい病気もせず、今日まで無事に過ごしてきたが、昨年、人間ドックに入り、毎年、市で行われる検査以外に、今回は前立腺検査のマーカーについて検査をして頂いた。ところが考えられないような29という正常値をはるかに上まわる高い数値が検出された。そこで、まず自宅の近くにある防衛医大の泌尿器科で精密検査、生検をして頂いた。組織切片9検体中3検体にガン細胞が見られた。しかし、CT.MRIによっても骨および他の組織にはガン細胞は全く検出されず、ガン細胞は前立腺に限局しており、早速手術をするかどうかと言うことになった。

 私の場合、手術は境界年令に当たり、取り敢えずホルモン療法とガン抑制剤で治療することになった。
その時、朝日新聞の記者による本(切らずに治療する前立腺ガン)を書店で見つけ読んだ結果、この方法で治療することに決めた。その時点では、この治療法を行っているのは、東京医療センター、北里大学と慈恵医大の3か所であったが、日本で最も古くからこの方法で治療されている東京医療センターの斉藤史朗先生にお願いすることとした。この先生はテレビにもしばしば出演され、この分野でのパイオニア的な存在である事も知った。この先生は私の主治医の先輩でもあり、早速紹介状を書いて頂いた。

 昨年8月診察して頂いたが、いつ手術して頂けるのか不安でいっぱいの毎日を過ごした。私の順番は57番目であることを電話で知らされ、5か月後の1月29日やっと手術をして頂いた。
通常、ガンは早期発見、早期治療と聞いていたが、前立腺ガンの治療は細胞の増殖が遅いことを知った。1月28日に入院し、術前の検査を受け、翌29日手術、経過観察の後、31日退院と通算4日間の入院であった。

 手術方法だが、放射線物質をチタン金属でコーティングした5mm程度の針、小線源を前もって撮ったCT写真を見ながら,ピンポイントで打ち込み、後に放射線ビームを25日間確実に当てるという最先端の方法であった。ようやく4月6日に放射線を始めとする、すべての治療は終った。その間、放射線科の先生及び斉藤先生にいろいろと以前とくらべてどうかと尋ねられたが、術前と同様に夜、何回もトイレに立つだけで、これが一つの病気であり、その他身体の調子は変わらず毎日通常の仕事をこなしてきた。

 このように健康者と同じように毎日仕事が出来ることは、元来、私が健康であること、そして好き嫌いなく食べる。これが元気の源と思うが、この身体を育ててくれた両親と私の健康を考えて食事を作ってくれる妻のおかげであると感謝している。それと私が健康であること。これにはもう一つ考えられる。それは毎週若い人達に大きな声を出して講義していることである。一年に亘って90分授業が32回行っていることではないかと思う。大学でも若い人達にこの講義時間は多いですねと云われるが、私にとって講義は苦痛ではなく、講義のあとはすがすがしく空腹をおぼえ、おいしく昼食が出来る。したがって食べたものが身体によく吸収されて健康の源になっているのでないか。今後も私は今のような生活を出来る限り続け、元気でボケルことなく輝いた楽しい生活を送りたいと願っている今日この頃である。

その1その2
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その2  花かつみ 〜矢作 悠〜

桑子氏近影やはぎ ゆう

私は広告関係の仕事に従事しながらエッセイストとして活動いたしており ます。
いまは能因法師や源融があこがれた「道の奥」をテーマとして奈良 から平安時代を舞台にした作品を執筆中です。
その作品を読んでいただけ る日も近いと思います。

矢作氏のもう一つのコラム「美ら島」こちら

花かつみ  ご覧頂いているこの写真は「姫シャガ」という花菖蒲に似た花で、「古今集」恋歌に読み人と知らずに歌われた「花かつみ」ではないかと言われています。

 松尾芭蕉が奥の細道(1689年3月27日江戸深川を出発)の旅で檜皮の宿(現在の福島県郡山市日和田町4月末から5月上旬に通過)のあたりで「いづれの草を花かつみとは言うぞ」と訪ねたが村人は誰も知らないという。そこで「沼を尋ね、人にとひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかかりぬ」と書き記しております。氏の旅の目的には、平安人が都で「花かつみ」と憧れていた植物はいったい何なのかと探し再発見する時空の旅でもありました。

 ところが一目見ることも出来なかった、さぞ心残りであったことだと思います。しかし私は、探し歩くうちに花かつみが自然に芭蕉の眼に入っていたのではないかと考えています。
「姫シャガ」は水辺や道端に多く自生しておりこの地方では誰も「花かつみ」とは呼んでいませんでした。
花かつみ花かつみの名は平安の都人がつけた道の奥のイメージ名だったのではないかと思います。能因法師は歌枕で花かつみを真菰の事と言っております。私は、秋に花を咲かせる真菰よりこの花のほうが「花かつみ」にふさわしいと思います。ちょうど今頃(5月)が花の見ごろとなります。

 さて、芭蕉が歩んだ5ヶ月の旅は2,400kmの道程と言われています。一日に16kから20kmの移動です。私が一日に歩く歩数が平均11,000歩。比べようもありませんが氏は大変な旅をしていました。

  時は移り、自然環境も変わり「花かつみ」は今、かつみかつみと尋ね歩かなければ見ることができなくなってきています。

 時代は変わっていても、私は健康維持のために車に乗らず毎日12,000歩を目指し、新しいものを見つけながら歩いています。

その1その2
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