コラム
健康づくりを骨から始めましょう
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このコーナーは各界でご活躍の方々にお願いしております。
3月
その1 小林 寛 私の健康法
その2 瀬 安宏 或る小さな老人クラブの話
その3 松尾 哲 三師の恩
   
五十音順

その1 私の健康法    〜小林 寛〜

小林氏近影こばやし ひろし

早稲田大学名誉教授。工学博士。
1928年生まれ。東京大学第二工学部物理工学科を卒業し、富士電機製造?に入社。
磁気増幅器と、それを用いた重電機器の制御装置の開発に従事される。
1960年、早稲田大学理工学部講師に転じ、翌年、助教授。
1968年より教授に就任し、1999年退職。1985年頃より、健康法の研究を開始したこと
がきっかけとなり、1986年、保温により適温で調理できる「はかせなべ」を発明。
監修者:村上信夫氏のアドバイスを受けながら、妻:正恵氏とともに、この鍋を用いた調理
法の研究をすすめ「適温調理法」を提唱する。
著書に『元気がよみがえる適温クッキング』(窓社刊)など。

 私は満1歳の時、激しい腸炎を患い、1週間もの長時間意識を失った。主治医はとても助からないと告げたが、母の不眠不休の介護のお陰で命を取りとめた。しかし、それから30数年間にわたり慢性の腸炎が続いた。

 この症状は、親友の医師、松枝先生の鋭い診断で、先の激症腸炎がアミーバー赤痢だったことが分かり、特効薬による治療で全快したが、成長期から壮年期にわたる長期間の慢性腸炎は、体力に大きなダメージを与えたに相違ない。

 それでも、年に2〜3回風邪を引く程度で大過なく過ごしていたが、50歳を越した頃から食欲が無くなり、常時軽い頭痛が生じるようになった。その上、夕方になると蕁麻疹が生じ、一晩寝て起きるとそれが消えるという奇妙な症状が続いた。数箇所の大病院での精密検査によっても、何の異常も発見されず、自分で体質改善のため良い健康法を工夫する以外には方法がないと自覚するに至った。

 先ず朝食が8時頃と遅いのが悪いのだと気付き、朝食のかわりに粉ミルクにビフィズス菌、大麦若葉の粉、プロテイン等を混ぜて水で溶いたものを一杯飲むだけにした。これは、正解であった。5年以上も続いた食欲不振、頭重感、蕁麻疹はいつの間にか消えた。

 これに気を良くして、イリコ(じゃこ)を炒ったものを毎日手の平いっぱい食べ、週に1〜2回、毎日10分間位上半身裸で太陽光に当たるという方法(自称:イリコと太陽)を励行することにしたところ、たちまち全く風邪を引かなくなり、病知らずの毎日が20年近く続いている。

 こうした成果の理論的理解のために、藤田拓男神戸大学名誉教授の名著『カルシウムの驚異』(講談社のブルーバックス)を精読し多くのことを学ばせていただいた。

 その後、こうした体験と本から学んだ知見を多くの人々に伝えることに努力してきた。その一例を述べると、生まれつき血中の好中球がゼロに近く、先天性好中球減少症と診断され、長年にわたり病になりやすく苦しんでいた10歳の男の子の病弱体質を「イリコと太陽」健康法でわずか1ヶ月で治すことに成功した。その後の研究で、カルシウム摂取不足によって生じた胃酸分泌の不足で、腸内の悪玉菌(ブドウ球菌)が繁殖し、これが好中球を毒素で全滅させていたのが原因だったのだという結果に達した。先天性ではなかったのである。多くの人々の長年の持病には、このように生活習慣が根深く絡んでいるようである。

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その2 或る小さな老人クラブの話 〜瀬 安宏〜

瀬氏近影せ やすひろ

昭和6年生まれ。神戸市出身。昭和30年、早稲田大学第一法学部卒業。
同年、?神戸新聞社に入社し、平成3年同社定年退職。
現在、神戸市須磨区上須磨明友会(老人クラブ会長)、神戸早稲田倶楽部顧問。

 平成11年4月、地域の老人クラブの会長にと懇請された。それまでクラブ活動に積極的に参加していたということでもない、年に1、2度集会に出席していたという程度のことである。前会長は健康上の問題もあり、後任者探しに躍起になっていたようである。解散もやむなしとの声もあったらしい。そこまで追い詰められているのならという義侠心と、地域に少しでも役立つならという思いもあり、受けることにした。

 受ける以上は自分なりのカラーを出さなくてはと全国老人クラブや神戸市老人クラブ連合会の理念などを読ませていただいた。健康と友愛、そしてボランティアであった。先ず健康だと思った。近隣の同世代の方々の暮らしぶりを見ていると、どうもテレビとコタツの守りか病院通いというのが主流のようであった。外出といえば近くのスーパーへの買出しが軸になっているように思えた。

 もう1つ狙いがあった。地域の子供達とのふれあいである。私達の子供の頃は戸外での遊びが主であった。独楽回し、凧あげ、竹とんぼ遊び、竹箸で作ったゴム鉄砲、女の子は縄跳び、けんけん、また男女共に鬼ごっこ、かくれんぼに興じた。今はどうか、戸外での遊びは殆ど見られない。少子化ということもあろうが、部屋に閉じこもりテレビゲームや室内遊戯で時を過ごしているのであろうと想像できた。これでは熟年リタイア組と変わらない健康第2の過ごし方ではないかと思っていた。

 老人クラブでは、先ず歩こうということで近辺を1時間程度ウォークする「歩こう会」をスタートさせた。会員諸兄姉は、かかりつけの医師から、骨粗鬆症でもとにかく歩くようにと言われていることもあり、案外すんなりと受け入れられた。近隣には源平の史跡も多く行く先に事欠かない。2年目頃から日帰りではあるが、奈良・京都方面にも出掛けるようにした。ロードマップを首からぶら下げ、それなりに様になっている。結構皆さんタフですよ。

瀬氏近影 一方、子供達とのふれあいだが、行事中心で余り成果は上がっていない。夏祭りに協賛し、七夕飾りを作ったり、輪投げでお菓子をプレゼントしたり、また敬老の日の集いでは、一緒に手品を楽しんだり、童話を唄ったりという位である。ただ、以前は道ですれ違っても知らぬ顔で通り過ぎた若いお母さん方と、にこやかに挨拶が出来るようになっている。

 いずれにしても、気長に一歩一歩前向きに進めることであろうと思っている。私が永年勤めていた新聞社が、昨平成15年から毎月12日を「育児の日」と定め、子育てに夢を持てる地域社会の実現を目指すとの提言を行っている。強い見方が出来たと思う。

 で、私自身の健康は?どうかなぁ、年相応だと思っておりますが・・

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その3 三師の恩 〜松尾 哲〜

松尾氏近影まつお てつ

福岡県大牟田市生まれ。
1978年島根大学卒業。製薬会社の営業、製造、研究所、開発を経て、
現在シゲタ動物薬品工業株式会社の取締役検査部長。

 私の人生において忘れることの出来ない三人の先生との出会いについて書いてみたいと思う。私が松江市にある大学の理学部に在籍していたころ、統一協会というキリスト教系の新興宗教に嵌っていたが、学業を放擲しての活動による父親との血みどろの心の葛藤に苦しんでいた。その当時、松塚先生は法文学部の哲学科の教授であり、縁あって先生が学内で主催されていた「歎異抄を読む会」に顔を出す機会があったが、悪人正機の親鸞の教えが自分にはより自然な教えと感じられて惹きつけられていった。

 今も覚えている先生の言葉に「真理は生きている」という言葉がある。私は今まで、真理は追求すべき観念の対象と考えており、だからこそ統一協会において理想社会実現にも邁進していたのだが、真理は私において生きて働くという、まったく逆の視点の提示は、私の今までの生き方に停止を命じるものであった。結局、この松塚先生との邂逅により統一教会を脱会し、父と和解することが出来た。

 統一協会の呪縛が解けて思ったことは何も大学で学んでいないということであった。そのような時、農学部の生物化学に落合先生という新進気鋭の教授がおられるということを友達から聞いていたが、幸いにも修士の二年間をそこで送ることが出来た。葉緑体の固定化の研究という国のサンシャイン計画の一翼を担うテーマを頂き、本格的な学問の訓練と同時に楽しさを教えていただいたことはその後の大きな財産になっている。

 卒業後、医薬品メーカーに就職し、営業職で秋田県下を駆け回って三年が経ったある日曜日の朝、寝転がって開いた朝日新聞の「人」という欄に先生の名前を見つけてびっくりした。落合英夫『世界で初めて葉緑体から電気エネルギーを取り出す』。この仕事は我々が取り組んで先鞭をつけた仕事であったが、この時、腹の底からもう一度、研究生活を送りたいという気持ちが込み上げてきた。上司に相談して研究所への移動願いを出したが実現したのは入社九年目のことであった。

 その当時、研究所では骨粗鬆症治療薬のビタミンDの開発をしていたが、この分野の第一人者である明海大学の久米川教授を初めて訪問したときのこと、魅力的な研究室であることを察知した上司が研究室への派遣を久米川先生に打診したところ、1週間でも1ヶ月でも1年でもいいですよとの夢のような返事。私は1年間を久米川研でお世話になることになった。

 久米川先生は朝が早いから、早く来ればデスカッションができるよと当時助手であった羽毛田先生(現教授)から教えていただき、8時前には研究室に行った。昨日の実験結果の解析に始まり、将来の研究のアイデア、社内での人間関係の洞察と対応等々、今にして思えば贅沢な個人授業を受けたことは何よりの収穫であった。沢山の業績の土産を頂いて帰社することが出来ただけでなく、その後も骨代謝関連の総説執筆の仕事を回して頂いたり、暖かい応援を頂いて今に至っている。私という存在に多少とも光ある部分があるとすればそれは全て三師より賜ったものである。

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