コラム
健康づくりを骨から始めましょう
今月のコラム
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このコーナーは各界でご活躍の方々にお願いしております。
9月
その1 伊藤 公博 おばあちゃんと歯
その2 小笠 道子 花作りボランティアで健やかに
その3 海保 正義 やっとみつけた健康法
その4 生木 道郎 山歩きの効用
その5 堀江 美枝子 光とたわむれて…そして、魅せられて…
その6 森  毅一 私の健康履歴書
   
五十音順

その1 おばあちゃんと歯  〜伊藤 公博 〜

  我が家のおばあちゃんは明治32年12月2日生まれで、当年103歳。さすがに今年に入って新聞やテレビの野球には興味がなくなってきたが、それでも大好きな競馬は放映が終わるまでチャンネルを独占している。皆さんから「お元気ですねー」と感心されるが、その実これまでしょっちゅう病院のお世話になっている。大腿骨骨折で入院したのが82歳、乳がん手術が90歳、心臓病での半年入院が100歳、そして昨年末は高熱を発して、正月を控えて葬式の段取りを真剣に考えた。お医者さんの手当てよろしきを得てなんとか元気を取り戻すことができた、といった具合だ。

おばあちゃんと著者  このおばあちゃんは大の歯医者きらい。若いころ虫歯の治療で歯医者に行ったところ、ブーンとうなる機械を口の中に突っ込まれたとたん、気を失ってしまった。以来歯医者には行かないことを心に誓った。入れ歯はおろか虫歯の治療にも病院には足を向けたことがなかった。ところが92歳になった時、痛みに我慢できず、家内の強引な勧めでお医者さんに虫歯3本を1度に抜いていただいた。このときは足が不自由な上、いやだと言うのを無理やり連れ出すのだから、診療の椅子に座ってもらうのに家内はたいへんだったらしい。

 今日現在、下あごの右犬歯とその左右合わせて3本が孤塁を文字どおり死守している。これを使って刺身や好物のエビフライを器用に食べる。本人はこの3本の歯を持って旅立つつもりでいるが、その前に痛みだしたら又大変である。近くで歯科医院を開いていた田井さんが大学同窓と知って相談を持ち掛け、いざとなればいつでも来てくれることになっていたのだが、その田井さんが今年3月急逝された。彼の逝去は私にとっての痛恨事であるだけでなく、おばあちゃんにとっても大変な出来事だった。

 おばあちゃんの食事は長い。2時間から3時間かかる。何しろ下あごに残る3本の歯を頼りの食事である。もぐもぐといつまでも噛んでいる。これをみていると「緑健文化」を提唱する北海道大学名誉教授草刈善造先生の「徹底咀嚼」の教えが頭をよぎる。草刈さんは戦後一貫して「地球環境危機とその解決」というテーマに取り組み、北海道に30haの緑健文化研究所を開設し、90歳のご高齢でなお人間のあるべき姿を求める「緑健文化の実顕」に勤しんでおられる。「緑健文化」運動は現代の大量生産・大量消費の都市文明のアンチテーゼとして「農」と簡素生活に基づく新たな人間・生命体の生存環境を生み出そうとする活動であり、その具体的運動のひとつが食事の際の徹底咀嚼で、これがWHOや日本教育基本法の定義する「健康」を備えた「健生長寿を楽しむ健生人間」を作り出すのに不可欠と主張している。新しい人類文化創設の第一歩はよく噛んでたべることから始まるというわけだ。

 おばあちゃんの食事は、歯のない口で物を食べるので、必然的に何度も何度も噛む。噛み切れないものは汁を吸って吐き出すという食事法で、草刈さんの教えに期せずして一致している。噛み切れない刺身などは200回近く噛んでいる。入れ歯をせずにいたことが長生きの秘訣と言えるかもしれない。
 それにしても沢庵やりんごなど、ぽりぽりと噛んで食べさせてやりたいもの。10年程前に異業種交流の三水会で、同窓の久米川先生から「骨の細胞」の話を聞かせていただいたが、進歩著しいバイオ技術の開発が話題になるたびに、歯となる細胞をコントロールでき、抜けた歯の後に移植していつまでも若々しい歯を維持できるようにならないかと思うのである。

著者近影いとう きみひろ

1958年、大阪大学卒業。
1958年、日本アイ・ビー・エム入社、永年にわたってご活躍された。
1989年、日本アイ・ビー・エム退社後、インターナショナル・トランスレー
ション・サービス代表取締役。
同社退社後、現在一円融合会(二宮尊徳思想実践団体)理事、学園花の村(都市と農村を結ぶボランティア)役員として活躍中。
森氏と同様、三水会のメンバーの1人。
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その2 花作りボランティアで健やかに  〜小笠 道子〜

 赤白黄ピンク紫、色とりどりの花・花・花・・・。

 私の町は、北は讃岐山脈、南は四国一の大河吉野川が流れ風光明媚なところです。人口約2万人、重要伝統的建造物群保存地区に選定された「うだつ」の町並みがあり観光にも力を入れています。

 私は退職後、ボランティア活動を生活の中心に置いて日々を送っています。その1つである花作りボランティアについて書いてみようと思います。

 町には吉野川へ流れこむ大きな谷が4つのあり、昔は谷も大洪水を起こしていましたが、今は砂防工事が行き渡り大洪水はなくなりました。そのかわりに草が生い茂るようになりました。そこで町の玄関先、脇町インターチェンジ東側の曾江谷川が草やごみで荒れ果ててはいけない、美しくしようという思いの人達が平成7年の晩秋に集まりました。まずは空き缶やごみの清掃から始まりました。それからは雑草との戦いでした。ひまわりの種を蒔いたら野鳥に啄ばまれ、コスモスを植えても草に負け、それはそれは大変でした。だけどそんな中でも花が育つのを見ているうちに、自分が心身共に元気になっていくような気がしてきました。

 今年はそこにマレットゴルフ場36ホールが出来ました。各ホールに沿い蒔いた黄花コスモスが秋の「ねんりんピック徳島2003大会」の時、咲きみだれるよう、今一生懸命に手入れをしています。また、そこから約5Km位西へ行った所に大谷川があります。その谷も整地し、地域の人達が分担して受け持ち草花を育てています。四季折々の花を自分達で種を蒔き、苗を植え、雑草を取り堆肥をして育てます。草花が人々の目を癒し、心が豊になればと願いつつ。

 大谷川は遊歩道が6年前に完成し、草花を愛でながら毎日多くの人々が散歩しています。私もその一員、夫婦揃って毎朝の散歩も今年で8年目になります。朝日を浴び澄み切った空気を胸一杯に吸い、木々の緑の合間からさえずる小鳥の声を聞きながら一歩一歩。

 豊かな自然に恵まれ、そこで取れる産物を食べ、この自然を大切にする人達と語れる幸福は何物にもかえがたく感謝感謝の日々を送る今日この頃です。

著者近影おがさ みちこ

1934年、徳島に生まれる。
徳島大学学芸学部卒業後、教員生活を41年間。
2000年、ホームホームページ2級資格取得。
中学校「心の相談員」町の『健康協力員』を経て2002年から脇町国民健康
保険運営協議会委員。
町の花作りボランティアに参加。
生き生きサロンボランティアに参加(月一回74歳以上の地域のお年寄りを招いて、食事会と余興で楽しんで頂き生き生きとして帰っていただく会)。
現在、徳島県美馬郡脇町在住。当世話人の久米川とは小学校時代からの同級生。
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その3 市民の健康法  〜海保 正義〜

 50代も半ばにさしかかり、子供も自立して手がかからなくなると、再び自分自身の人生に目が向き、今後何に生きようかと思案するようになります。それとともに、体が健康でいることの大切さを痛感するようになります。体は人生の荒波を航海するための、替えのきかない乗り物です。健康かどうかで人生が全然違ったものになってしまいます。

 私は40歳になった頃から、物事を行う際の能率がそのときの体調によって全然違うことを自覚し、体調をベストに保つ何か良い方法はないかと探してきました。本や新聞記事などから情報を得、実際に足を運んだりしていろいろと試しましたが、これまでに得た収穫は、第1に座禅とであったこと、第2に中村天風さん(故人 著書による)を知ったことでしょうか。座禅の要諦は腹式呼吸をしながら瞑想することと思われますが、それによって気分が落ち着き、集中力が養われることを体験しました。また、天風さんは、ヨガを基にして誰でもできる天風式体操を考案し普及させると同時に、心と体は密接に関連していること、心の持ち方次第でものの見え方がまるで変わることを魅力的に説き、今でも多くの人たちを引きつけています。

 私は自らの経験から、座禅、気功法、ヨガといった一連の東洋の養生法が健康維持法として最良のものであり、現在もますますその重要性が高まっていると思います。私なりにその効能を説明すると、ポイントは呼吸法にあります。吐く息に重点を置いて深い息をする訓練を続けると、血中の酸素濃度が高まると同時に、横隔膜を使った腹式呼吸をするようになり、その結果、腹部の内臓がマッサージされて血行が良くなります。呼吸はまた、無意識状態でも正常に行われていることからわかるように、自律神経に支配されています。意識的に呼吸を深くする ことによって乱れた自律神経のバランスが正常に戻る効果があるのではないかと思われます。
 
 近代になって西洋医学が著しく発達した結果、今では病気になったら悪いところを除去すれば良い、あるいは薬を飲めば良いという他力的な考え方が広く行き渡っているのではないでしょうか。しかし、対症的な治療では根本的解決にはならなかったり、再発したりすることが多く、一方で、虚弱体質、神経症、高血圧、アレルギー、さらには癌といった病気に対しては有効な治療法が無いのが現状です。

 ストレスにおかす曝されることの多い現代社会を元気に乗り切るには、東洋の養生法に再び着目してその考え方や日々の鍛錬を実践し、人間に本来備わっている自然治癒力を高めて、病気が発生しないうちから自分で体を守る、これが最も求められているのではないでしょうか。

 私は幸い、毎年の健康診断ではまだ特に悪い所がありません。やっと見つけた健康法の実践によって、自分の体がどこまで健康になれるかとても楽しみにしております。

著者近影かいほ まさよし

千葉県出身。東京教育大学大学院終了。
その後、40歳まで大学で研究生活を送った後、製薬会社に入社し、現在に至る。
会社では研究所に5年間在籍後、学術文書の英訳担当に配属される。
仕事を通じてグローバル化の大波を身をもって体験している。定年が視野に入ってきた今、大学と会社という2つの違った世界で過ごした経験を、
今後の人生に生かしたいと思っている。趣味としてここ数年、石に中国の古典語句を彫る「篆刻」をたしなんでいる。
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その4 山歩きの効用 〜生木 道郎〜

 山歩きを始めて15年、それまでのゴルフをやめて、いまは山歩き一筋である。50才の声を聞くようになって一番気になったのは、人並みに健康のことであった。現在は、医学の進歩や生活環境の変化によって長寿社会にはなったが、それが必ずしも「健康で長生き」を意味しているのではない。
誰もが望むのは、健康年齢における長寿であろう。

 健康にはまず、「歩くこと」だといわれている。そこで、排気ガスのない空気のきれいなそして何よりも自然がいっぱいの、山歩きを思い立った。ところが最初の山行で、途中からバテバテになってしまった。10歩歩いては休み、又10歩歩いては休みの繰り返しだった。正直言って大変なショックであった。こんなことでは先が思いやられる、何とかして体力をつけなければと、山歩きを続けることを決心したのである。

山々の写真  最初は山行スケジュール表をつくり、ガイドブックのコースタイム通りに歩くことだけを考えていた。しかしこのような歩き方がいかに空しい努力であるか、何回か山に行くにつれて分かってきた。計画通りに歩くのは、山歩きの基本であるが、それだけに自分を縛りつけ、せかせか歩いたのでは、せっかくよい光景に出合っても見えるものが見えない。山では日常の論理や習慣を捨てて、自然そのものを受け入れ、自然の恵みに対し心を開くことが大切である。空の雲を見、風の音に耳し、木々の芽吹きに季節を感じ、小鳥のさえずりに心をはずませ、せせらぎに涼を求め、自然の中に溶け込むことができるのが山歩きである。また山頂で美しくも雄大な山々を眺めると、気は晴ればれとすがすがしく、達成感と満足感にひたることになる。これこそストレスから開放される一瞬である。身も心もすっかりリフレッシュされ帰途につくのである。

 中高年の山歩きは健康と楽しみに応えてくれる。とはいえかなりきつい運動ではある。それ故、急登では呼吸は荒くなるし心臓は高鳴る、筋肉痛にもなる。が、肺の換気量は確実に高められているし、手足の先まで熱くなるのは血液の循環がよくなった証である。筋肉が活発に活動するため代謝はよくなるし筋繊維も太くなっている。また高低差のある歩行は、骨密度の維持に有効である。

 つまり山歩きは、トータルとして代謝能力を高め、心肺機能や運動機能を高めたり骨密度の維持するのによい効果をもたらすといえる。その証拠に最近バテバテで登った山へ今では散歩気分で登っている。

著者近影なまき みちろう

1935年 東京生まれ。
1960年 大阪大学歯学部卒業。
現在、千葉県松戸市にて生木歯科医院を開業。歯科医師として活躍中。
マイオドントイック研究会代表。
趣味は山歩きであり、自然と親しんでいる。
当世話人の久米川とは大阪大学時代の同級生。
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その5 光とたわむれて…そして、魅せられて…〜堀江 美枝子〜

花器 ガラスの織り成す光と影の芸術、繊細なガラス達が放つ透過光の美しさに心ひかれて、気がつけば無我夢中の十余年、そんな思いを形として表現したいと思い工房、教室、として歩み始め7年目を迎えました。

 私と同様にステンドグラスに魅せられた生徒さん方で毎日賑やかで楽しく、目まぐるしく忙しい中で心地よい緊張感を味わいながらの日々

 そして今、私は元気印!!

 夫の仕事の関係で関東から神戸に移り住み少し生活にも慣れたころ、今から15年ほど前、何とも言えぬ不快な症状が私を襲い、悩まされる日々が続きました。数件の病院廻りをしましたが、どこでも「異常なし」の一言でした。

 人ごみが怖い、乗り物にも一人では乗る事すら不安でした。でも傍からみればそんな素振りのひとかけらも感じさせない健康そのもので、元気な人という印象を与えていたようです。そのギャップが、神経をガタガタにしていたことに気が付きませんでした。突然の動悸や気を失いかけるほどの不安感に襲われるというような大変な日々を送ることになってしまいました。なぜ私が?どうしてこんなに?と、責めるばかりでした。

 偶然にも同様な症状で苦しむ方との出会いがあり、当人同士しか判らない気持ちを語り合い、苦しさを吐露出来るようになった時、その方の一言で、この症状を克服するきっかけを掴む事が出来ました。病院から頂く精神安定剤の服用や家族をはじめとする周辺の方の慰めや言葉がけは、有難いと思いながらも、頑張って治さなければという気負いで逆に追い詰められました。

 「こんなに苦しい思いをしても、私たち、ちゃんと生きてるじゃない」との友人の一言で、モヤモヤしていたものが晴れて行くのが分かりました。生来の負けず嫌いで潔癖症がガチガチな鎧を着て、知らぬ間に自分をいじめ神経をすり減らしていたことに気が付いた時、「弱さを見せたっていいじゃない」「助けてと甘えてもいいじゃない」そう思える様になった時、私は、この症状から脱することが出来ました。振り返れば2年という長い道程でした。今でこそよく耳にする「パニック症候群」だったのですね。そんな経験もし、健康であることの喜びを改めて実感し、支えてくれる家族、友人に感謝する日々を送りつつ、私の出来るかたちで、健康の素晴らしさ、生きる事の喜びを表現していこうと思う日々です。
いちばん好きな作品
 アトリエにも、連日楽しい仲間たちが集い、思い思い価値のある逸品の制作に励み、有意義な楽しい時間を共有しています。

 「光とたわむれて・・・そして魅せられて・・・」
人生においての、光と影を楽しみながら歩いて行きたいと思っております。

著者近影ほりえ みえこ

 1997年、神戸市に「アトリエV」を設立し、また、ステンドグラス教室「アトリエV」を開講し、希望者にステンドグラスの魅力を教えている。
 ステンドグラスを高級な装飾品としてのイメージだけでなく「使えるもの」をテーマに生活に密着した実用品としてのオリジナル作品に力を入れている。
 地元紙の神戸新聞、地元テレビ局のサンテレビ出演、好評をはくした。
その後、大阪心斎橋日航ホテルビル「ホワイトアベニューギャラリー」で、ロングランの招待個展、西宮市市民会館公開教室、作品展の開催など関西を中心に脚光を浴びている。
 2000年、ミレニアム記念作品、花器「夜明け」を制作。
 現在、ご主人と2人のご子息と神戸市に在住。
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その6 私の健康履歴書  〜森 毅一〜

 私は今年(2003年)歳男で72歳になる。生涯現役と教育関係書籍の編集の仕事を続けている。
周りから若い若いいわれるその健康に感謝している。そこでその健康履歴書を書いてみようと思い立ったが、果たしてご主旨に沿うかどうか心配である。

 幼少期は虚弱児で、扁桃腺肥大でよく発熱、歯も悪く、腕をよく脱臼した記憶もある。何歳くらいからか「眼鏡肝油」というものを毎日飲まされていた。中学3年の8月に敗戦、食糧難時代で育ち盛りの10歳代後半は栄養失調に近かった。20歳代の青春時代は少しよくなったもののやはり粗食の時代だった。大学生時代生活はかなり滅茶苦茶だったが病気はしなくなっていた。

 20歳代後半社会人になった。この頃日本は猛烈時代、教科書会社で編集の仕事をしていたが、家に帰るのは週末だけというようなことがよくあった。30歳代までこんな有様だったが、この間会社の健康診断は常に異状なしで病気はほとんどしなかった。たばこも酒も20歳そこそこから始めかなり吸いかつ飲んでいた。40歳代も変わりなかったが、世の中は高度経済成長期で、贅沢な飽食の時代になった。40歳終わり頃、ある朝突然めまいに襲われた。天井がゆらぎ、吐き気をもよおし立ち上がることもできなくなった。往診に来た医者は「めまいですね」と、平常に戻るのに1週間かかった。その後4回めまいを起こしているがだんだん軽症になった。

 こんな幕開けで50歳代に入ると、まず痔の手術、次いで55歳頃の健康診断で血糖値が100を越えた。医者から糖尿病になるといわれ、早朝水泳を始め、週2〜3回で10年以上続けた。が、飲みかつ食べることは続けたがたばこは止めた。やがて糖尿病予備軍といわれた。50歳の終わり頃、30巻の全集という大仕事を引き受けての1年目、朝会社で急に気分が悪くなって倒れ、吐血し即入院。病名は「急性胃粘膜炎」、20日入院。退院後胃散を手放せなかった胸やけ症状がなくなった。65歳のとき家を建て東京から船橋へ転居。その1年目まためまいで倒れ入院。脳関係の検査をしたが異状はなかった。

同窓会での写真  70歳になった。そのある日、ふらつく感じがして病院へ行ったら血圧が200で点滴治療を受け、血圧降下剤飲まされた。この時血圧計を買った。72歳の正月、咳がひどく病院へ、医者は咳よりも血圧が高い、血糖値が高いとその検査をさせられ、血圧と糖尿病の薬を飲まされ、以来4月まで同じ薬を飲まされ続けた(3月の検査で血圧140/90、空腹時血糖値162)。薬の注意書きの副作用の項が気になり、体の変調を気のせいか感じた。こんな時、ある中国療法に出合った。その案内には、「・・・祖先からの偉大なる遺産・自然治癒能力に出番を与えず、ひたすら化学薬品の力のみに依存・・・その副作用に苦しんでいる有様です。当楽天中国製体室では、このような現状を打破すべく、四千年の歴史を持つ中医理論に基づく、“乱沙疏経療法”“五行磁針療法”により自然治癒能力を引き出し、高め、・・・。」と、5月から週1回この整体室にいき、薬の服用を止めた。化学薬品拒否がどう出るか、1年ぐらい続け結果を見たいと思っている。蛇足ながら、毎日、酢卵(2年ほど)と自家製ヨーグルト(最近)を飲んでいる。 

著者近影もり きいち 

1931年 東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業。
教科書出版社編集部をかわきりに、今日に至るまで教育関係図書の編集に携わっている。
約20年前から各界で活躍している人の勉強会、三水会のメンバーの1人。
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