コラム
健康づくりを骨から始めましょう
今月のコラム
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このコーナーは各界でご活躍の方々にお願いしております。
8月
その1 関 朝之 「健康」という究極の幸福
その2 田川 三津子 「骨」について・・・。
その3 田川 由美 骨美人になろう!
その4 中村 悟 祭り
その5 船越 正也 ウォルフの法則
その6 吉田 芝更 骨と書の関係は?
   
五十音順

その1 「健康」という究極の幸福  〜関 朝之 〜

 あれは忘れもしない2000年4月3日の明け方だった。  大腸が鷲掴みされたような鈍痛に襲われたのだ。 胃ならまだしも、なんで腸が……、と思いつつも、 押し寄せてきた睡魔の波に乗って、昼近くまで 眠ってしまった。  二度目に大腸が痛みを覚えたのが、 一ヵ月後の5月1日、やはり朝だった。  この一ヵ月間、ぼくは部屋に閉じこもり、 ただひたすらに「がん」に関する書籍を読んでいた 。
 ぼくの仕事は、人から話を聞かせてもらい 文章を書く「ノンフィクション・ライター」で、 今回は数多くの「がん」に関する書籍を出版している 方にインタビューをする準備をしていたのだ。   そんな頃を同じくしての大腸の痛みは、 ぼくをある恐怖に陥れた。俺は大腸がん なのだろうか……、と。  ぼくは、何年か振りで、近所の町医者に 行くことにした。けれども、三十二歳でフリー のもの書きになってから二年間、健康保険証 というものを持っていなかったことに気がついた。 それは、フリーになりたてで保険料が支払えない という理由もあったが、自分が健康を害すわけが ないと思っていたのだ。  
 その日、真新しい国民健康保険証を持って、 ぼくは町医者の待合室に入ったが、ゴールデン ウィーク中ということもあり、野戦病院のように 混雑していた。  その間も腸がづきづきする。たまらず視線を 泳がせていると『大腸がん検査申込所』という 貼り紙が、なんとも嫌な予感を漂わせていた。  検診の順番が廻ってきた。どきどきしながら 病状を医師に話した。 「連休明けまで様子をみましょう」 そう言われて、血液を採っただけで、検診は 終了してしまったのだ。
 5月の3日・4日・5日、ぼくは必死に 腸の痛みと闘っていた。  6日になり、ほうほうの体で町医者に行くと、 かすかに抱いていた、盲腸であってくれ……、 という願いも、「陰性」という結果に打ち 砕かれてしまった。  その二日後にはバリュームを飲み、 胃と腸のレントゲン写真を撮った。その結果、 十二指腸潰瘍が見つかった。でも、そんなのは、 どうでもよかった。問題は、大腸なのだ。 「明日、触診しましょう」 医師に言われるまま、帰宅した。  家に帰っても、することがない。 こんなときに会社に勤めていれば気が 紛れるのにと思いながら、ぼくは自宅そばの 河川敷で、終わろうとしているかもしれない 我が人生を、ぼんやりと回想していた。  空に三日月が出始めた。そういえば、 お猪口の形をした月のことを「受け月」 といって、願いごとが叶うという話を聞いた ことがあった。ぼくは、三日月がお猪口の形 になるように、首を傾げてみた。たしかに 「受け月」に見える。夜空にお祈りをした。  どうか大腸がんでありませんように……。
 翌日、町医者で触診を受けた。そして、 大腸に関する説明があった。 「なんとも言えません。とにかく大学病院を 紹介するから、内視鏡検査をしてもらってください」 「…… …… (大学病院!? やっぱり、がんだったんだ!)」 内視鏡検査は三日後だった。  パニック状態に陥りながらも、ぼくは三十四年間、 お世話になった人たちに、お別れの電話をかけたり、 電子メールを送ったりした。そんななかに、 六年前に交際していた元恋人もいた。そのN美の携帯電話 のダイヤルを押すと留守録に移行した。「砂漠のような人生に、 いっときのオアシスをありが……」と言いかけると、本人が出た。 「久しぶり。でも、〈がん〉イコール〈死〉の時代ではないよ」 元看護婦のN美は、勇気づけてくれ、検査前日と検査結果が 出る日に付き添ってくれることになった。  そんななか、なにげなく通りかかった神社にぶら さがっていた絵馬が目に留まった。 《家族が健康で暮らせますように》──普段は、 見過ごしてしまう当たり前過ぎる言葉が、ぼくには 「究極の幸せ」に思えて仕方がなかった。家族……。 健康……。
 なんでもっと早くに、気がつかなかったのだろう……。 検査前日になり、大学病院に行くと、 ぼくは担当医に告げた。 「先生。書きかけの本もあるので、余命がわかったら 教えてくださいね」と。 検査当日には、もうなるようになれと、 胃と腸に内視鏡を入れた。 翌日には検査結果を聞きに、N美と大学病院に行った。 診察室の扉を開けると、担当医がにやりと笑った。 「がんじゃなかったよ」 その言葉を聞いた瞬間、ぼくのなかで未来という 扉がグワァ〜ンと開けてきた。 「奥さん、よかったですね」 と看護婦に言われて、 「いいえ、違うんです。遠い、遠い親戚なんです」 とN美は強く否定していた。

 診察室を出ると、N美は「よかったね」と口では言っていたが、「人騒がせな」と目が怒っていた。

病院で支払いを済ませているぼくを待たず、元恋人はすたこら帰ってしまった。

 過敏性大腸症候群。とにかく、そんな病名だった。
 ストレスから腸がやられてしまう病気らしい。

 このデキゴト以来、ぼくには「健康」が人生最大の幸福となった。

著者近影せき ともゆき

1965年東京都生まれ。城西大学経済学部卒。
スポーツインストラクター、バーテンダーなどを経てノンフィクション・ライターとなる。医療・スポーツ・動物などをテーマに取り組み同時代を生きる人々の人生模様を書き続けている。著書に『目をふさがれた順平』『10人のノンフィクション術』など多数あり。
『目をふさがれた順平』は小山市のさる公園でアメリカ人英語教師がボンドで目をふさがれた子犬を獣医師、吉田(今月のコラム二スト)らとともに治療、完治させた物語で、日米で話題となった作品である。後に飼い主の募集をしたところ、多数の募集があり東京のある施設でダンは幸せな毎日を送っている。

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その2 「骨」について・・・。  〜田川 三津子〜

「骨」、「骨組み」、「骨格を成す」。

「骨」について思い浮かぶのは、上に書いたような言葉です。すでに骨粗鬆症を気にしなくてはいけない年齢なのに、「骨の健康」についてあまり考えていないことを、改めて感じました。

普段の生活で、体に良いことは気にしています。
もちろん、骨に良いからカルシウムを取らなくてはいけない、小魚を食べよう、牛乳を飲もう、etc. 心がけてはいます。でも、何より大事なのはバランスのよい食生活だと思っています。

バランスのよい食生活とは、私にとっては出来るだけ旬の食材を使って料理すること、朝・昼・晩きちんと食事をすること、それも日本料理の伝統である一汁三菜を、少なくともそろえること、と考えて、自分のために食事の用意をしています。

それとともに大事なことは、体を動かすことだと思っています。体を動かすことは人それぞれ、健康状態、好みなどによると思いますが、私は、遅くに始めたゴルフがよい運動になっています。

仕事をしていた時は、月1回、太陽の下を歩くだけで疲れてしまいましたが、少しずつ体力がつき、今や2日続けてのプレーも出来るようになりました。
あの小さなゴルフボールを追うからこそ、1日に6キロも7キロも歩くことが出来るんだと、痛感しています。
ゴルフは、遅く始めただけに、まだまだ上手になりたいと思い、練習もしています。

ということで、よく動いて、おいしく食事をして・・・というのが、私の生活のペースになっています。これが、骨を丈夫にする、ひいては健康に暮らせるということにつながってくれるといいなと思っています。

たがわ みつこ
1940年生まれ。メーカーに勤務、
総務部、人事部、広報室など。
1999年退職。現在はゴルフなど
屋外スポーツと読書、茶道などを楽しむ。
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その3 骨美人になろう!  〜田川 由美〜

 私は神経内科医として、神経難病の治療に取り組んできました。
神経内科で扱う疾患は全身性で慢性であることが多いため、栄養指導、生活指導などを含め、患者さんに対して全人的に関っていかねばなりません。全ての女性は閉経というホルモン環境の劇的な変化を経験するわけですが、骨を強くしてくれていた女性ホルモンが分泌されなくなるため、閉経後は骨粗鬆症になりやすくなります。神経疾患の1つ、パーキンソン病は中高年で発症する病気で、前傾前屈姿勢になる特徴があるため、骨粗鬆症の症状を悪化させ易いのです。
多剤併用療法を行っているパーキンソン病患者さんは、薬の種類が増えるのを嫌がり、「骨のお薬ですよ。腰痛を防ぐのに重要なのですよ。」とよくよくムンテラをしないと飲んでいただけません。また、寡動というパーキンソン病本来の症状があるため、コルセットの着用を嫌う患者さんが多いのも実情なのです。多発性硬化症、重症筋無力症などの場合には、かなり長期間ステロイド治療が必要になる例もあり、ステロイド治療に伴う骨粗鬆症も予防する必要があります。
一人一人の患者さんのニーズに応えてゆくことを心がけてきました。

 最近、講義や実習で若い学生さんたちを見ていると、小顔で足の長い女の子が増えたなあと羨ましく思います。
でも、十分に痩せているのに、「私、太っています。」という子が結構な割合でいます。高校生の時、痩せ過ぎて生理が止まった経験を持つ私は、教室に遊びに来る学生さん達に、「それ以上痩せると、生理が止まるわよ。」と無理なダイエットに対する注意を促すことにしています。また、5年前に診察した女性のこともお話しています。当時、私は神経内科外来で、希望者に骨の検診を行っていました。いつもは、中年以降の女性がこの検診を受けられることが多かったのですが、その日の患者さんは、私より2歳年下のやや痩せ気味の女性で、母親が受けるついでに一緒に受けたようでした。まあ、年齢的に問題ないでしょう・・・と思いつつ、骨密度のデータを見て唖然としました。年齢で標準化した正常値の60%しか骨密度がないのです。「これまでに何らかのご病気で、ステロイド治療を受けたことはありますか?」「いいえ。」「そうですか、では、お子さんは?」「2人います。」「出産が原因にしては、ちょっとデータが酷いですね。ところで、ダイエットの経験はありますか?」
「はい、3回ダイエットをしました。」
「だめじゃないですか、骨がぼろぼろです。今は、外見がきれいに見えていても、貴女の骨はもうおばあさんですよ!」彼女は、かなりショックだったみたいで、栄養指導を神妙に聞いて、「ダイエットって、怖いんですね。」とおっしゃっていました。

実は、同じくらいショックだったのは・・・若さを謳歌していた私でした。診療と研究で、ろくな食事が取れていなかったのです。このままでは、私も骨粗鬆症の予備軍になってしまう・・・・。その日から現在に至るまで、乳製品を欠かした日は一日もありません。最近、カスピ海ヨーグルトを家で培養しているので、週に確実に2リットル以上の牛乳を消費しています。食事も外食を避けて、全ての栄養をバランスよく取るよう心がけています。
また、ジムとダンス教室に通い、適度な運動をしています。
あのころと違って、すっかり「骨美人」になったんじゃないかしら。若いみなさん、無理なダイエットは禁物ですよ!

著者近影たがわ ゆみ

香川県出身。平成6年香川医大卒業。
内科・神経内科で研修を行った後、
同大学院博士課程へ進学し、
東京医歯科大分子医化学教室、
獨協医大神経内科へ研究のため留学。
Johns Hopkins大学神経内科・神経科学へ留学。
帰国後、明海大歯口腔微生物学講座へ。
一貫して、免疫性神経疾患の研究に取り組んできた。
現在の研究テーマは、Guillain-Barre症候群の発症機序における粘膜免疫の関り。
趣味は、料理、ジム通い、社交ダンス、ドライブ。アクティブな毎日を送っている。

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その4 祭り 〜中村 悟〜

 私の住む熊本市には“藤崎八幡宮秋季例大祭”という祭りがある。元来“ボシタ”と呼ばれていた祭りである。

 クライマックスは9月15日に行なわれる神幸行列で、着飾った勢子たちが迫力ある馬追いを披露する。例年60を越える団体1万5千人以上が参加し、それぞれ“奉納飾り馬”と呼ばれる馬を追って、法被姿の勢子たちが「ドーカイ、ドーカイ」の掛け声の下に、ラッパや太鼓の軽快なリズムに乗って独特な踊りを披露しながら街中を練り歩くのである。飾り馬が疾走したり飛び跳ねたりするので少々危険な祭りでもある。

 私は高校同窓会の主催する団体に所属しラッパを吹いている。このラッパは軍隊や消防団が使用している信号ラッパというもので、これが中々難しい。
音が出るようになるだけでも一苦労である。
30分も吹けば酸欠で頭はクラクラし、顔中の筋肉はパンパンに張ってくる。そのうち腰も痛くなってくる。けっこう全身運動なのである。

 団体練習は7月から始まる。練習は午後7時から9時までである。日が暮れても熊本の夏は暑い。にもかかわらず、大きな音を出すので体育館を閉切って練習する事になる。勿論冷房はない。
汗でTシャツがびしょびしょになるが、これが終わってみるとけっこう気持がいいから不思議なものである。日曜日は郊外の原っぱで馬と一緒に走り回りながら練習する。練習後みんなで食べるバーベキューは格別である。

 楽隊と呼ばれる音楽担当の仲間は30人程で皆若い。ほとんど10代か20代である。40代は3人しかいない。いつのまにか長老組になってしまった。走り回りながらラッパを吹くのは中々重労働である。少しでも多く練習に参加して彼らの足を引っぱらないようにしなくてはならない。

 祭りが終わると次の年の7月まではシーズンオフである。たまの合宿を除けばこの間は自主練習となる。
主に自院のレントゲン室で吹いているが、いつでも練習できるようにラッパは常に持ち歩いている。近所迷惑にならない所ならどこでも練習場である。車の中や早朝のゴルフ場も練習場の一つである。さすがに汗びっしょりにはならないので週1,2回ゴルフの打ちっぱなしで汗を流す事にしている。

 40代は何かと忙しい。いろんな役が廻って来る。生活も不規則になりがちである。おまけに健康の為に何ら努力した覚えもない。にも拘らず今の所いたって健康である。
 
 大好きな祭りの為なら多少の苦労も気にならないし、仲間がいるから頑張れる。本祭以外にも企業の夏祭りや老人ホーム慰安など出番も増えたし病気に罹っている暇などない。それに若い仲間と飲むのもまた楽しみである。たぶん祭りが私の健康法になっているのだろう。

 気持の上ではまだまだ若い者には負けられないし、まして他の団体に負けるわけにはいかない。しかし最近では年齢の事も考慮しなければならなくなってきた。少しでも長く参加できるように、また周りに心配を掛けないように健康診断だけは欠かさないようにしなければと思っている。9月15日が待ち遠しい!!

著者近影なかむら さとる

1979年3月熊本大学工学部卒業
1985年3月城西歯科大学卒業
1988年9月熊本県旭志村に歯科医院開業
現在 菊池郡市歯科医師会理事
熊本県歯科医師会社保委員会副委員長
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その5 ウォルフの法則 〜船越 正也〜

 大阪の医誠会病院から朝日大学の村上記念病院へ向かう寝台タクシーの中で、私は母に付き添い、車の振動が母の脚に響かない様に両手でずっと太腿を支えていた。当時、75歳の母は元気だったので祖父の法事のため一人で岐阜から大阪へ出掛けて行った。ところが新大阪駅の階段を降りている時、後ろから走り降りてきた若い女性が背中に当って母は転がり落ち、立ち上がれなくなったがその女性はそのまま走り去ってしまった。間なく親切な駅員が来て、救急車で病院へ送ってくれた。報せを受けた私は病院に駆けつけた。診断は大腿骨骨折であった。
当然手術が必要で、術後1ヶ月は安静を要するとの事であった。そんなに長く大阪で看病できないので、岐阜の病院で手術することにした。3時半に出発し、岐阜に着いたのは6時半であった。その間、私は母の足を支え続けていた。

 翌日、整形外科の井上四郎教授の執刀で大腿骨の大転子と肘関節の手術が行われた。その夜は妻が夜通し付き添った。経過は順調で、1週間後に井上教授から「ぼつぼつ起きて歩行訓練を始めましょう」と言われた時には、大阪の病院で術後1ヶ月は安静が必要と告げられていたので、我が耳を疑うほどびっくりした。骨折した骨は術後可能な限り早期に負荷をかけた方が回復が早いと言う事は今では常識になっているが、これは1985年の話である。ともかくお陰で、母は2週間後に歩けるようになった。そして、私は「ウォルフの法則」を思い出していた。

 ドイツの解剖学者、Julius Wolff(1836〜1902年)は、
“正常にせよ、異常にせよ、骨はそれに加わる力に抵抗するのに最も適した構造を発達させる”と言い、これをウォルフの法則と名付けた。つまり、骨に外力が加わると骨の内部に応力が生じ骨は歪むが、その応力が大きい所ほど骨組織が増殖し部厚く丈夫になり外力に抵抗する。反対に、応力が小さい所は骨組織が吸収されて薄くなる。このようにして、外力に対して最も適した骨の形態と構造が出来上がる。このメカニズムとしては、骨が外力により歪むとそこにピエゾ電圧が発生し、陰極にカルシュウムイオンが集まり、造骨細胞により骨組織が形成されると考えられている。骨折は外力による骨の歪みが最も大きい所に生じるのだから、手術で骨を整復した後に適当な外力を加えると、歪みが最も大きい所、すなわち骨折部に骨の増殖が起こり、回復が促進される。この法則は正常な骨の形成にも当て嵌まる。

 2003年6月12日、エチオピアのヘルト村でホモ・サピエンスの最古(16万年前)の頭骨化石に関する論文がネイチャーに発表された。ホモ・サピエンス・イダルツと名付けられた我々の先祖のゴツゴツした部厚い頭骨の写真を見ながら、私はこの頭骨の基本形態を決めたものは遺伝子であろうが、最終的には強力な咀嚼力に対抗して、ウォルフの法則に従って形成したであろう16万年前の骨芽細胞や破骨細胞に思いを馳せていた。

著者近影ふなこし まさや

1929年 大阪生まれ。
1954年 大阪大歯学部卒業。
1971年 岐阜歯科大教授となり、
1981年 同大学副学長就任。その後、
1985年 朝日大歯学部長を経て、
1989年 同大学学長就任。
2001年 同大学名誉教授となり、
学校法人朝日大学参与を務められる。
1995年には、日本歯科医学会会長賞受賞。

歯科基礎医学会名誉会員、日本顎関節学会名誉会員、日本咀嚼学会名誉会員(元副会長)など広く活躍される。

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その6 骨と書の関係は?  〜吉田 芝更〜

骨へんの文字 書道塾を開設して25年。年数回の展覧会には、書作品あるいは篆刻作品を出品している。小学校時代からの、お習字教室の延長で人の出会いによってセミプロへと、繋がっていった。書を教え乍らも実は、それ以上の諸々は総て弟子から教わる事が多く幸せな仕事と感謝しつつ過している。コラムの依頼を受け骨と書道?と一瞬とまどったが、何げなく使っている生徒への指導の中に重大な関係を持つ骨について改めて再認識した。例えば書道実技として子供には心をしずめて墨を磨り背筋を延ばして前傾姿勢、肘は張り過ぎずゆるめ過ぎずと。大人には骨格のある線で、やわらかく、かと云って贅肉のような線にはならない様澄んだ線を等、骨の恩恵ばかりである。これを機にもう一歩踏み込んだ別の世界から書を見直して見たいとおもう。先ず一番身近にある墨。その製法の中には骨が大きく関わっている。菜種油煙や松の根を燃やして出た煤を膠で固め木型に入れて出来上がったもので、この膠は獣魚類の骨を水で煮つめゼラチン状の液を乾かして固めたもので、昔の最高級の奈良墨等は鹿の角を用いた膠だったと耳にしたことがある。墨一つにも感謝の念を持たずに「書は人なり」とか「風格のある品位の高い書」等と語っていた自分が一寸恥ずかしく思える。

 初心に返り骨について改めて字源をひもといてみた。
骨の冂は頭蓋骨。 は脊髄の尖骨である。月(にくづき)と合わせた会意象形文字であると記されている。又骨へんの文字を書道大字典(角川書店)で調べその字の多さに唖然とした。

 

お目にかかった事のない字がずらりと並んでいる。
主に漢、唐、宋に使われていたらしくほとんど馴みがない。
骸骨、髑髏あるいは、最も使われている脊髄等の髄は、明時代の頃、髓の俗字となり現在に至り体は體であったし、字源は「いけにえ」として捧げた動物の分離した骨等という強烈な意になっている。

 文字の起源は中国殷代(前1500年)頃存在した甲骨文字で、亀の甲羅や牛馬など獣骨に刻まれた文字であった。
骨と文字がこれ程まで近かった事、又書の最も根本が骨の上に刻まれた甲骨文字であった事は北京博物館でも、上海や西安でも目にしている。

 骨へんの文字を並べた時、その重厚さに圧倒され、迫ってくる気迫を感じる。「すごい」と一人でつぶやいている。これをきっかけに私の書も、より強く、広大で、深さが備わる様に願いつつ、大切なものであり乍らいつの間にか忘れているものへの感謝の気持ちを思い起こさせて頂いた「骨の健康づくり委員会」の先生方に心から敬意を表します。

著者近影よしだ しこう

昭和11年愛媛県生まれ。書を中野永峰に学ぶ。
栃木県芸術祭奨励賞、東日本書道展大賞受賞。
その後、毎日書道展秀逸、読売書法展特選、日展に2回入選と次々と大賞を受賞される。
特選が決まったときの吉田さんの言葉「なかなかいただけない賞なので宙に浮いた感じです」
現在 東日本書展審査委員
吉田さんは今月のコラム関朝之氏の『目をふさがれた順平』に紹介された,ボンドで目をふさがれた犬を救う際にあたったひとりでもある。

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