このコーナーは各界でご活躍の方々にお願いしております。
     
 

 

3月

その1 池口 頌夫 天にも昇る心地
その2 市原 明 私の健康法
その3 岩坪 レイ子 虫歯のない私
  その4 唐木田 俊介 歩きの効用
  その5 室田 誠逸 現実になった夢物語
  その6 日蔭 温子 「骨」雑感
(五十音順)
     
           
    その1 天にも昇る心地  〜池口 頌夫〜
     
   

 昔から”馬鹿と煙りは高くのぼる”というが、なぜ馬鹿は高く昇れるのだろう。
物好き、空想家、などの字を馬鹿の代わりに当てれば納得出来るかも知れない。  
古来人は天駆けることを夢みて遂に飛行機を発明し、更に宇宙に飛び出し月にまで上陸した。近未来には地球の引力外の空間を自由に運行するのも夢ではなくなった。
 ところで”天にも昇る心地”とは一体どんな気持なのでしょう。
 地上に生きる人びとはそれを死後に訪れる神の国の感覚として捉えてきた。”美しく光りに満ちたところ””肉体を離れ軽々と””苦しみも悩みもない世界””真の暗闇””妙なる調べと花の香りに満ちた””静かで清らかな空間””押し寄せる至福感”などの言葉で表してきた。
 現代人に於いても、近来、死からの生還者の臨死研究の発展から、古来人類が引き継いできた宗教的感覚とひじょうに良く似た感覚が体験されている事が明らかになってきた。
 一方現実に宇宙に天かけ生還した宇宙飛行士はなにを感じたのか?
”自分は確かにあの地球から飛び出した一つの細胞””眩いばかりの青く美しい地球””真の暗闇””オーケストラを聴くようなオーロラの変化”等々であり、この感覚も天の昇る心地の一つであり前述の体験と似ている。
 異なるのは、地上に還った後の”たかまる地球への愛””生命体を守る強烈なエコ意識”であると云う。
 ここで個人的な体験から考えてみる。
平成12年6月、私は43年間のビジネス人生にピリオドをうった。
12年間にわたる会社経営の責任、またデジタル技術の発達によって脅かされる著作権制度、世界第二位の音楽大国、の業界代表としての国内外への責務の全てから解放された。   
退任の挨拶状で私は当時の気持ちを”重くて暗いトンネルの底から突然転びでた感覚でまさに異星の地にたつ思い””あくまで静かで,明るく、すべてが新鮮で、かって覚えのない不思議な境地をあじわっている”と記している。事実それから一月以上至福感に包まれ、体の上から下に、足のさきから重力が去っていく感覚、まさに天に昇る心地を味わった。
 その夏、私は家内とスイスを旅した。友人の山荘に滞在し、たまたま熱気球にのるチャンスに恵まれた。天候、気温、風力、湿度、等々全ての条件が整うまで一日待機し、乗船できたのは夕方六時だった。
 暖められた五人乗りの気球が何の抵抗感も、加速感もなく地上を離れフンワリと空に浮く。陽は金色の彩となって降り、風は頬にやさしく触れ我々は只風と共にあった。重力の軛を逃れ真の静寂の世界のなかを上昇した。牧場も村も山並も小さくなり雲も、アルプスの白嶺、も仲間になった。訪れる至福の恍惚感、、、これは又まさに”天に昇る心地”であった。しかし天空の飛行の終わりはまことに想像外の結末だった。
 天使は地に天降るが、物好きで罪深き生命体である私達は”落ちる”ことしかない現実を二時間後に悟ることになった。
着地の瞬間、ふねは横倒しになり、すべての天空の圧力をわが身に受け同乗者のアラブの王子らしき若者の上に家内が、美しい姫ぎみのうえに私が横たわり、只ただ重く重く落ち着いたのであった……。
 今私は日々三十坪の畑を耕し、一枚の塵芥も大切に、無農薬有機農業に徹して野菜を育て、足でしっかりと大地を踏み締め、緑と水を愛し、町の中心を流れる美しい川と湧水群の保護活動に汗水を流す毎日です。
 白鷺、せきれい、鴨、川鵜、川蝉、が空に舞い、鯉、鮒、はや、(佛泥鰌)メダカ、もろこが清流に泳ぎ、(ながえみくり)が川底に揺らぎ、狸も共に遊ぶ。
これもやはり”天にも昇る心地”を二度も味わった者のたどるべき運命なのでしょうか?              
付記(  )内は絶滅のおそれがある希少水生生物、植物

     
         
   
著者近影

池口頌夫(いけぐちのぶお)

昭和9年大阪生まれ 大阪大学文学部卒業
(株)講談社 (株)ブックローン社 (株)キングレコード 勤務を経て
キングレコード株式会社社長に就任、在任中には、移動の車中で異分野の演歌に耳を傾けたとのこと。
社団法人 日本レコード協会会長
平成12年退職落合川自然保護運動にボランティアとして参加

池口氏の御紹介により、近々大津美子氏がこのコラムに登場予定である。

     
       
 
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    その2 私の健康法市原 明      
     この様なタイトルを付けながら実は健康法など特に心がけていない。私は現在75歳であるが本当の高齢者は80歳以上と思うのでまだまだ高齢者の中に入れないと思う。私は中学生の頃から長距離ランナーで(あまり速くなかったが)、10年くらい前までジョギングもしていたが、深酒のせいで軽い脳梗塞をおこししばらく入院静養して以来、とても脚力は弱って走ることは出来なくなった。しかし歩くことは好きで、毎日一時間くらいは歩いている。これは趣味と仕事なのである。実は10年前に大学を定年になる頃からある国際雑誌の審査員を引き受けて、毎年400編に及ぶ論文の審査をしているので、その論文を郵送するため郵便局に通う必要があるのである。しかしこれもE-メールなど使う様になり郵送の必要は減って来ると思うが。私の家から郵便局まで徒歩で15分くらいであるが、運動のため少し遠回りして行くと往復一時問くらいには出来る。途中で食料品など買う。これも実は妻が脊髄麻痺で歩行困難なので家事全般私が手伝う必要があるので炊事、洗濯、買い物も私の役割である。この様に健康法として努力しているのでなく、仕事と義務(もっと格好良く言えば妻への愛)として運動しなければならないのである。この他はどちらかと言えば不健康生活で軽いアルコール依存症である。煙草は脳梗塞入院時に止めたが、酒は漸次増えて元に戻った。現在の生活は私には快適満足であり、これ以上健康法など改善したいと思わない。第一長生きなぞ特に願っていない。死にたいとは勿論思わないが。論文審査で学界に多少役に立ってるし、妻の介護で愛情の意味を知るようになったから、人生を十分生きさせてもらったこの満足感が一番の健康法ではないだろうか。      
   

市原 明 (いちはらあきら)
昭和27年大阪大学医学部卒、その後カリフォルニア大学バークレー校,ジョンホプキンス大学留学、帰国後、大阪大学歯学部教授、徳島大学医学部教授を経て、平成11年まで徳島文理大学教授。その間、肝臓の酵素代謝の研究で世界的に脚光を浴びる。中村氏(大阪大学医学部教授)、田中氏(大阪大学医学部教授)らといった多数の優秀な学者を育成した。平成2年よりBiochem. Biophys. Res. Commun.編集委員。(なおこの編集委員は日本で三人のうちの一人)
     
       
 
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    その3 虫歯のない私〜岩坪 レイ子〜      
     私は歯科医である。
昭和10年11月生まれ。まもなく67歳になろうとしている。しかし、いまだに虫歯が1本もない。抜けている歯もつめものをしている歯もない。きわめて珍しい存在であると我ながら思っている。歯肉から出血することもないし、ぐらぐら動いている歯もない。
 最も新しい厚生省歯科疾患実態調査によれば(平成11年度)、女性の場合、私の年齢では、処置歯9.2本、未処置O.9本、喪失歯12.3本となっている。処置歯であっても、きちんとした治療がなされていなければ、つめものがとれたり、歯がかけたり根尖病巣ができたりする可能性もある。義歯では自分の本来の歯ほど噛むことはできない。インプラントは今や立派に代用歯として機能しているが、それでも油断をすると炎症を起こしたり抜け落ちたりする可能性もある。いくら高い代金を支払ったとしても自分の歯ほど快適なものはないだろう。
 私の世代の人たちが、甘いものを食べることができたのは幼児期だけであった。小学生2、3年生以後、お菓子類は手に入らなくなった。中学2年生のころだったろうか、やっと、あめやチョコレートを簡単に口にすることができるようになった。
     
著者の歯並び
 私の子供時代、受験勉強はしなかった。学校から帰るとカバンを放り投げて外に飛び出し、暗くなるまで遊んだ。お腹がペコペコになっていたから、ご飯をしっかり食べ、ろくに歯も磨かずに寝てしまった。私は学校が好きであった。友だちがいたし、放課後の缶けりやドッヂボールも楽しかった。登校拒否ならぬ在宅拒否児であった。家にいても冬は暖かくもないし、夏は涼しくないし、テレビもなかったから、外で遊ぶ方がよほど魅力的であった。中学二年生の時、学年で一人の歯の表彰状を私はもらった。歯学部を出てからは、さすがに毎食後歯をみがき、30年前からはフロスを用いて掃除をしている。歯が抜け落ちた人の顎骨はやせ細ってゆくが、私の顎骨は立派である。その分、同世代の人に比較すれば若く見えると自負しているが、さてどうであろうか。
   
著者近影.
岩坪レイ子(いわつぼ れいこ)

1935年生まれ。大阪大学歯学部卒業、京都大学大学院博士課程修了。
京大病院、京都第一赤十字病院で小児から高齢者、および有病者の歯科治療に従事。
その間ヒマラヤ遠征に三回参加。村人の歯の調査を行い、
食生活と歯科疾患の関連を深く認識する。
現在京都市内で開業。これまでの経験をもとに一口腔単位の診療を行っている。
著書「ヒマラヤ診療所日記」「ヒマラヤ診療旅行」「歯/生命のかがやき」
「暮らしと歯」など。
     
         
   
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    その4 歩きの効用 〜唐木田 俊介      
   

著者近影ウォーキング

著者近影 ウォーキング

 私は1929年生まれ、今年74歳になる。生まれが北海道で、育ちが旧「満州」中国の東北地方である。北海道は雪深い上川地方であった、従ってスキーは下駄代わりであった。小学校4年から中国の吉林省ジョ蘭県(じょらんけん)と言うところで過ごした、冬は零下20度から30度近くまで下がった。よってスケートを首にぶら下げての通学であった。雪が少ないのでスキーは駄目であった。乗馬も家業の手伝いから必然的に上手にならざるを得なかった、農耕馬でも冬期に体を鍛えておかないと夏使いものにならないのである。馬の鍛錬は子供達の仕事である、冬期、お正月三が日も含め、毎日夕刻になると集いあって約1時間歩いたり走ったり、馬を鍛えるのである。
 中等学校は職業高校で農学校であった、「黒竜江省五常街」(こくりゅうこうしょう・ごじょうがい)と云うところにあった。軍事教練は関東軍から現役の陸軍中尉が教官として赴任していた。駆け足、匍匐(ほふく)前進とシゴキにジゴかれたが健康に恵まれていた私にとっては良き鍛錬の場であったと思っている。
 私は敗戦後程なく家族と離れた場所で発疹チブスに罹り1週間も人事不省に陥っていたそうだ、幸い命拾いした。看護が良く、運が良く、往時のシゴキで基礎体力の蓄積があり、これらの賜と感謝している次第である。
 従ってスポーツの趣味はスキーとかスケート、卓球、乗馬などである、今ではどれも「卒業」し、専ら「歩き」である。早朝を心がけている。歩きに関連して、岩坪先生に習って一つの臭い話を許されたい。家人から時々「お父さんの口は臭い、話をしても、夜の寝息も臭い」といわれる事がある。気になるので病院で診て頂いても、胃も、腸も、口も、歯も悪い所が無い。そこで気のついた事は「歩き」と「口臭」の因果関係である、週に4〜5回、毎回約1時間位づつ、少し汗をかく程度に歩き続けておれぱ、自ずと「口臭」は消えるがズボラすると「口臭」が顔を出す、従って「歩き」は私の健康と身だしなみにとって、欠かせない大切な「行事」なのである。
     
    著者近影  

唐木田俊介(からきだしゅんすけ)

1929年北海道出身。1940年両親、兄等と渡満入植。1943年黒竜江省五常農業学校に入学したが、終戦により閉鎖となり1953年帰国。生協病院事務職を経て、日本国際貿易促進協会に就職。1992年同常務理事を最後に退職、現在は同相談役を勤める。この間に日本と中国の貿易の窓口となる「日中海運輸送協議会」を設立し、運営に力を注ぐ。また、航空貨物(日本国際貿易促進協会)、旅行観光、損害保険、生命保険分野など、遅れていた日本と中国の国際貿易の促進に努めた。言わば日中友好の影の立役者。ちなみに日本国際貿易協会の歴代会長は、石橋湛山、藤山愛一郎、桜内義雄などの諸氏が勤めており、現在は橋本龍太郎氏である。

     
         
   

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    その5 現実になった夢物語       〜室田 誠逸〜      
   

 年をとるにつれて健康が一大関心事になってきます。なになにを食べるのが健康によいと聞くとつい試してみたくなるのが人情です。不況の中にあって健康食品がひとり気を吐いているのがその何よりの証拠でしょう。食べることによって身体が作られるのですから、これは大変重要なことだと思います。しかし、いくら健康に注意していても、年をとるにつれて、老化現象によって身体のどこかに変調をきたしてくるのが常です。三大老人病といわれている動脈硬化症、骨粗そう症、老人痴ほう症は、まさに血管、骨、神経の老化現象の表れなのです。そのような病気になったときには、だれしも、もし損傷した血管や骨、神経などが新しいものに取り替えられたらどんなによいだろうと思うことでしょう。これまでまさに夢物語としか考えられなかったこれらのことが、なんと最近現実にかなえられるようになってきたのです。このところ新聞やテレビを通じて話題にのぼっていますので、皆様もご存知かと思いますが、21世紀の学問といわれている再生医学・再生医療がそれに当たります。最近の研究によって、私達の身体のいろいろな臓器や組織の中に、幹細胞といわれる未分化の細胞が存在することが確認されたのです。この細胞は発生初期の状態を保ったままで存在し続けているため、必要なときには、直ちに、必要な種類の細胞へ分化し、組織や臓器を再生する能力を持っています。骨髄の中にある幹細胞が一番採取しやすいこともあって、これが現在最もよく使われています。患者さんの骨髄から幹細胞を取り出して、培養皿の中で増殖させて数を増やした後、心筋梗塞症や閉塞性動脈硬化症の病巣部分に注入してやると、新しい血管が芽生えてきて、一命を取りとめたり、足の切断を免れたりすることが可能になってきたのです。現在さらに、世界中で、この細胞使った老人痴ほう症や歯周病の治療、骨や角膜の再生へ向けた臨床応用がどんどん始まっています。糖尿病や肝臓
病なども根本から治せる時代がすぐそこまで来ています。皆様は長生きしたいですか。 

     
   
著者近影_
室田誠逸(むろたせいいつ)

1962年東京大学薬学部卒業、薬学博士。その後アメリカ留学を経て、東京都老人総合研究所薬理学部長、東京医科歯科大学教授、日本血管細胞生物学会理事長を歴任し、現在、東京医科歯科大学名誉教授、炎症・再生医学会理事長。プロスタグランディンの世界的研究者の一人と言われ、大いに活躍した。
     
         
   

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    その6 「骨」雑感〜日蔭 温子〜      
   

 
著者のスイング

著者のスイング

◎人間誰でも同じパーツの骨を持って生まれてきていますよね、ただ、お母さんの遺伝子、お腹の中にいるときの環境、様々な生活条件などによって個人差が生じますよね。そんな事を考えると、今の私〜五体満足で丈夫に生み、一人前の人間〜に育ててくれた両親に感謝しています。

◎今日まで人間として生きてきて、今後も生きて行くわけですが、人間の体って本当に不思議な事がいっぱいありますよね、骨は筋肉などのよって支えられている訳ですが、神経が通ってこそはじめて正常に機能する事ができます。もし体のどこかが故障した場合、必ず肉体的、精神的ダメージが生じます、自分の体の事は自分が一番良く知っている筈ですから、普段から自分の体の事をよく知り、関心を持ち、大切にしたいものです。

◎また、食事はとても大切です、私は沢山の種類の食物をどれも少しずつ頂きます。骨に行き着く前に筋肉などにも必要なものを沢山摂取しなけれぱならないからです。

◎体の硬い人柔らかい人、人様々です、体の硬い人は、にわかに激しい運動をしたり、負荷をかけたりせず、十分に体を温めた上で運動に入りましょう。
 無理は筋肉などを傷めます、最初は軽い運動から始め、毎日少しづつ増やし、持続する事が大切なのです。もし体調に変化がある場合には、一旦休み体調を整えた上で再開するのが良いと思います。

◎ストレッチが大切だと云われますが、個人差があるので柔軟体操などからはじめ、自分なりのメニューをつくって健康な体、体力を手にして欲しいと思います、また太陽に当たる大切さを知って戴きたいと思います、太陽にあたることにより多くのエネルギーが得られる事を知って戴きたいのです。

◎睡眠不足は大敵です、十分に睡眠をとり、規則正しい排便を心がけたいものです。
     
   
1_著者近影
 

日蔭温子(ひかげあつこ)

1954年岩手県出身。1975年プロゴルファーとなる。1982年、92年日本女子オープンで優勝したのを含め全18勝。日本女子プロゴルフ協会理事を2期勤めた。美人ゴルファーの先駆けとなり、現在でも日本女子プロゴルフ協会のティーチングプロA級ライセンスを持ち、中京女子大学客員教授、東京家政学院大学講師などを勤める一方、銀河系いわて大使としても活躍。趣味は胡蝶蘭の鑑賞と栽培。

     
       
     
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